甘口ワインは昨今、さっぱり人気がありません。1990年代以降のドイツワインの不振、ソーテルヌの格付けシャトーの経営難など、甘いことをその旗印にしていたワイン産地は、どこも不遇をかこちつつ、辛口への転換を試みたり、辛口ワインを甘口のかたわらで造ってみたりと、いろいろ努力しています。偉大なる甘口が、ワインの神が我々に与えてくれた大いなる恵みのひとつであることは、コアな愛好家・業界人のほぼ全員が認めるところではあるのでしょうが、バンバン売れるか、儲かるかというのとはまったくの別問題でして、それが困ったところなのです。ニッチであるということは、たとえ小さくともそれなりに価値があったりお金になったりするものだと思うのですが、私の知る限り「甘口専門ワインショップ」とか、「甘口のみのワイン・バー」、あるいは「当店のワインは甘口のみです」というレストランは日本にはないようですし、ニッチにすらなれないというのが、甘口ワインの苦境を物語っているのだなあと改めて感じ入ります。自然派だけのワインショップ、バー、レストランは今もうほんとうにたくさんありますし、マデイラ専門バーなんていうのも花の銀座にはあるのですが、「うちのワインはどれも甘いです」という店がなぜないのか。たしかに、ひとりやふたりで極甘口ワインを1本空けるのは、たとえそれがハーフボトルでも大変ですが、今の世にはコラヴァンという便利アイテムもありますし、極甘口は酸化への抵抗性もあるので、開栓してからの日持ちもします。あってもいいのにな、甘口ワイン専門店。実際試してみると、結構料理にも合いますしねえ。
19世紀、ドイツの銘醸極甘口ワインは、ボルドーの五大シャトーよりもはるかに高い値段で取引されていました。いま、ドザージュ・ゼロが流行りに流行っているシャンパーニュも、その頃は今よりうんと甘かった。しかしながら、昨年末に発表されたLiv-exのパワー100のリスト(高級ワインの二次販売市場で、最も影響力のあるブランドのランキング)において、甘口ワインのワイナリーとしてランクインしたのは、シャトー・ディケム(41位)だけでした。おお神よ。
https://www.liv-ex.com/…/2018-power-100-burgundy-continue…/…
その一方で、本当はちょっと甘いのに辛口の顔をしている「ナンチャッテ辛口ワイン」はこの世の春を謳歌しています。特にこれは、世界最大のワイン市場であるアメリカ合衆国で顕著でありまして、某大手ワイナリーが出している超ベストセラーのシャルドネが、「実はちょっぴり甘い」のは、マーケティングの教科書に成功事例として載るぐらいその筋では有名だったりします。アメリカ市場においてシャルドネは、同国の皆さんの健康志向が高まった1980年代から爆発的な人気を得たのですが、その大きな要因のひとつが「辛口だから」というものでした。「いやあ、最近ちょっと腹回りがね。だからワインも甘いのは控えてるんだ。ドイツ? ノーノー」とかアメリカの皆さんは言い出したのです。かといって、日本人の基準からすればとんでもなく甘い菓子や、コカコーラ(ソーテルヌ並の残糖113g/l、日本コカコーラのウェブサイトより)で育った甘甘舌は、ほとんど本能のレベルで甘い飲み物を求めてしまいます。そこに目を付けたのが、1980年代当時はまだ今よりうんと小規模でしたが、マーケティング・マインドに富んだ上掲の某ワイナリー。「シャルドネを、わからんぐらいに甘くしたら売れるんとちゃうか」と考え、消費者リサーチもちゃんとやった上で、今も企業秘密になっているレシピを編み出しました。ヴィンテージや瓶詰めロットによって数字は変わるのでしょうけれど、リットルあたり9グラム程度の残糖が残るように、他のアロマティックな白ブドウ品種をベースとした秘密のリキュールをブレンドし、トロピカルな果実風味とともに「わからんぐらいに甘く」したのですね。これがべらぼうな大ヒット、このワイナリーは全米屈指の規模にまで成長しました。
まあしかし、「わからんぐらいに甘い」辛口ワインは、いまやこの某大手ワイナリーのシャルドネに限りません。アメリカで売られる低価格・大量生産なワインは、白赤問わずそういうものが少なくないです。このアメリカ人の甘いワイン好きについては、はっきりした統計数値にも現れています。ワイン価格検索サイトWine-Seacherのイケイケ記事でお馴染みのライター、ウィリアム・ブレイク・グレイが最近自身のブログに掲載したソノマ州立大学の調査結果を見てみましょう。
●質問:どんな味のワインが好きですか? 当てはまるものすべてに印をつけてください。
●結果:
中甘口……48%
スムース……44%
フルーティ……40%
甘口……38%
辛口(残糖なし)……36%
セイヴァリィ(フルーティでない)……18%
タニック……6%
https://blog.wblakegray.com/…/americans-like-sweet-wines-bu…
まあこれは、近所のスーパーで5~10ドルのデイリーワインを買っている普通の消費者が回答者の大半を占める調査ですので、アメリカでもコアな飲み手を対象に同じ調査をしたら、結果はだいぶ異なっているでしょう。日本でもそうですが、ワインビギナーはたいてい甘い白ワインが好みで、徐々に甘口から辛口へ、白から赤へ、それもタニックで重厚な赤へとシフトしていきますからねえ。日本で、上記のソノマ州立大学の調査と同じことをやっても、普通の消費者の方が対象者の中心であれば、そう変わらない結果が出るんじゃないかと思います。逆に、コアな愛好家だけを対象に調査すれば、アメリカであれ日本であれ、辛口支持派の%はもっと増えることでしょう。パーカー好みの濃厚ワイン全盛時代と比べると、コアな愛好家の中でも、よりドライなワインを求める指向が近年は強まっている気がしますし。
ワインの甘辛について一筋縄でいかないところは、単純な残糖の量だけでそれが決まるのではなく、酸味の強弱に大きく左右される点です。アルコール、グリセリンの量、果実風味の強弱なんかにも影響を受けますが、一番大きなファクターは酸味ですね。シャンパーニュのブリュットは、だいたい7~10グラムぐらいの残糖を含んでいますが、酸味がえらく強いのではっきりと意識できるレベルでは甘みを感じません。酸味が強いことで知られる品種、リースリングについても、同じことが言えます。なので、リースリングの国際振興組織であるインターナショナル・リースリング・ファウンデーションは、残糖と総酸度、pHから成るまあまあ複雑な基準で、そのワインを辛口、中辛口、中甘口、甘口に分類し、生産者にそれをラベル表示するよう奨励しています。まずはリットルあたりの残糖を総酸で割るのですが、それが1未満の値だったら辛口。つまり、残糖が8グラムでも総酸が9グラムだったら辛口になるということです。ただ、そこにはpH(水素イオン濃度)の値による補正が入りまして、pHが3.2までなら辛口なのですが、3.3以上なら中辛口、3.5以上なら中甘口となります。うーん、難しい。もっとも、消費者が裏ラベルで目にするのは、辛口から甘口までが物差し状に並んだ直線的なガイドラインだけなんですけどね。
https://drinkriesling.com/tasteprofile/thescale
https://drinkriesling.com/ta…/taste-profile-design-standards
ただ、こういう「実際どれぐらい甘く感じるのか」というわかりやすいスケールは、リースリングに限らずあらゆるワインにあっていいものだと感じています。理想的なのは、残糖、総酸度、pH、アルコール度数を、ぜーんぶラベルに表示した上で、「このくらい甘いよ」というわかりやすいスケールも付けてあげることでしょうか。そうすればもっと、甘いワインを好きな人が、素直に自分の欲望にフィットした甘さのワインを買ってくれる世の中になるかもしれません。本当に辛口ワイン好きな人が、間違って甘口を買ってしまう悲劇も減るでしょう。ただ、「口では辛口ワインが好きといいつつ、実は中甘口が好き」みたいな歪んだ心の消費者もたくさんいるので、そこがややこしく悩ましいところです。日本酒の世界で使われる「旨口」みたいな、新しい言葉があるといいかもしれません。
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立花峰夫:
ワイン専門翻訳サービス タチバナ・ペール・エ・フィス代表。
ワインライターとして専門誌に寄稿も行う。訳書・監修書多数。
(タチバナ・ペール・エ・フィス: http://www.tpf.kyoto.jp)
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