「新世界」という言葉を初めてワインについて使ったのは、かのヒュー・ジョンソンなのだそうです。1970年代末のこと。ヒュー爺さんが使った当初、カリフォルニア・ワインなんかはそれこそ「パリスの審判」のすぐあとで、「カッコいい。刺激的」というニュアンスが、「新」の語に込められていのではないかと。ただ、そうした「新興産地」がちっとも新しくなくなった昨今、「新世界」という言葉は、どちらかというとネガティブな含意を伴うようになってきたと思われます。差別用語とまでは言いませんが、軽い侮蔑の匂いが感じられるのです。少なくとも、ヨーロッパの生産者たちが口にするこの言葉には、「ケツの青いガキがえらそうに。テメエがカアちゃんの乳飲んでる頃からこっちは親方張ってんだよ」という感じの、ある種の優越感がにじんでいます。
しかしながら、ワインのスタイル、味わいの面においては、かつて新旧世界を分けていた境界線が日増しにぼやけていっており、ブラインドの試飲で新旧を判別するのがずいぶん難しくなりました。アメリカやオーストラリア、チリといった国々では、冷涼な産地にシフトしたり、摘み取りを早くしたりすることで薄味のワインが増えているのですが、ヨーロッパは気候変動の影響で濃厚化が進んでおり、ボルドーのメルロなんかはアルコール14%を超えるものが「普通」になってしまいました。
使われている栽培技術や醸造技術にも差がありません。20年ぐらい前までは、旧世界は「テロワール重視」、新世界は「品種重視」という力点の違いがありましたが、今ではそんな違いもなくなりました。どこの国でも高級ワインの造り手は皆、少なくとも建前上はテロワールこそすべてです。今や、新旧世界を分ける境界線としてはっきりしているのは、原産地呼称に細かい生産規制がセットになっているかどうか、だけではないでしょうか。
「古いことが逆に新しい」みたいな近年の空気感もあります。昨年、ニューヨークはブルックリンにあるアーバン・ワイナリーを訪れたとき、元航空宇宙技術者で今は醸造家になったお姉さんが、「ニューヨークでは今、古いものが何でも新しいのよ」と話していたのが印象的でした。自然派ワイン、アンフォラやオレンジワインのブームはその典型でしょう(そのお姉さんも、オレンジワインを造っていました)。その意味では、世界最古のワイン産地であるジョージアこそが、現在の「新たな新世界」なのだ、みたいなややこしいことを言う人もいます。フランスの中でも品種名表示ワインが多いラングドックなんかは、かなり前から「フランスの新世界」といった呼び方をされていますし、「新世界=ヨーロッパ以外のワイン生産国。欧州人の植民によってワイン造りが始まったところ」という定義自体、とっくに成り立たなくなっているのです。
欧米でも、しばらく前から「新世界 vs 旧世界の分類、そろそろ止めませんか」という話が出てきました。代わりに、「新世界 vs 旧世界ではなく、伝統派 vs 現代派の分類のほうが、今の世にあっているのだ」という人もいます。が、この分類法もどうでしょうか。かつて、伝統派と現代派が「戦争」を繰り広げたバローロでも、いつのまにか折衷派が主流になって、なし崩し的に戦が終わってしまいました。モダニズムの洗礼のあと、ふたたび多様化の方向に進みはじめた世界のワインを、二項対立で捉えるアプローチ自体が時代遅れになっている気がします。様変わりした世界の見取り図を描くために、新しい言葉が必要になっているのです。
<参考サイト>
http://m.wine-searcher.com/magazine-article.lml…
http://www.decanter.com/…/should-we-stop-talking-about-old…/
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立花峰夫:
ワイン専門翻訳サービス タチバナ・ペール・エ・フィス代表。
ワインライターとして専門誌に寄稿も行う。訳書・監修書多数。
(タチバナ・ペール・エ・フィス: http://www.tpf.kyoto.jp)
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