私が尊敬してやまないワイン研究家 堀賢一氏の著書『ワインの自由』(集英社、1998年)には、「高級レストランでも、ワインリストに記載されているMeursault-Genevrieresという文字を正しく発音でき、辛口白ワインだと理解できる客は100人に1人ぐらい。それでも、原語しか書かれていないリストが日本ではびこっているのは、店側が品選びの主導権を客に奪われたくないから」という旨の、ワインビギナーなら恐怖のあまり失禁してしまいそうなことが書かれていました。当時の日本では、「ソムリエはトモダチ。気軽に話しかけてね♪」的な発信が皆さんから盛んになされていて、私なんかも無邪気にそれを信じていたクチなのですが、トモダチではないソムリエさんも一定数はいたということなのでしょう。
堀さんの本が書かれた頃から20年近くが経ちましたが、いまも「革張り表紙でやけに分厚い、原語のみのワインリスト」というやつは、高級店においてなかなか健在です。泡、白、赤、甘口にセクションが分かれ、それぞれのセクションの中では産地別に分かれ、値段の順に銘柄が並ぶというのが標準的な形でしょうか。詳しいお客さんにとっては自然な並びであり、検索もしやすいのですが、「Bourgogne Rouge」といった見出しを見てもなんのことか分からない人にとっては、ただただ恐ろしいだけです。いわゆるニュー・ワールド系の国や産地に特化したワインリストの場合は、品種別に分類がなされていることもありますが、それ以上の「消費者フレンドリー」な努力が払われているワインリストとなると、未だに日本の高級店ではほとんど見ないように思います。3000円、5000円といった均一価格帯別のリストを採用しているところは少なからずありますが、比較的カジュアル寄りのお店ですしね。
アメリカのワイン評論家マット・クレイマーも、旧態依然としたワインリストばかりの状況を嘆いており、『ワイン・スペクテイター』のコラムで数年前、次のような提案をしていました。すなわち、リストに掲載されている多数のワインを産地や品種で括るのではなく、「高い標高」、「古木」、「超冷涼気候」といった特徴別にセクション分けするというもの。その上で、「高い標高」のワインなら、「酸味が強く、味わいの中盤がしっかりしていて、低収量でミネラル風味があります」といった共通点についての解説コメントを、セクション冒頭に入れてあげるのです。で、そこに、アルゼンチンやシチリアのエトナ山、カリフォルニアのサンタ・クルーズ山脈のワインなんかを入れるのだと。この提案は少々上級者向けではありますが、高級店で採用するところが出てくれば面白いとは思います。
クレイマーのアイデアとは若干ニュアンスが違いますが、味わいのタイプによってワインを分類しているリストならば、昨今ちらほら見るようになりました。アメリカ・コロラド州・デンヴァーにあるイタリア料理店、フラスカ・フード&ワインでは、たとえば白ワインが、「爽やか&クリーン、軽快&細身」、「花の香り、アロマティック、エキゾティック」、「フルボディ、豊潤でまろやか」という3つのカテゴリーに分かれており、「花の香り、アロマティック、エキゾティック」のカテゴリーならばさらに、「かつてトカイと呼ばれていた品種…」(フリウラーノ)、「マセラシオン・ワイン」、「奇抜な混植ワイン」、「百姓系」ほかのサブ・カテゴリーに分かれていきます。それぞれのサブ・カテゴリーの最初には、なかなか気の利いた解説の文章が書かれていまして、見ていてとても楽しいリストです。『ザ・ワール・ド・オブ・ファイン・ワイン』というイギリスの高級ワイン専門誌が、何年か前から「世界最高のワインリスト大賞」というのを選んでいるのですが、このお店は今年、「最高のデザイン/最もオリジナリティのあるリスト」という部門賞を獲得しています(以下URLから全リストをPDF形式でダウンロードできます)。
http://www.worldoffinewine.com/…/…/2016/frasca-food-and-wine
一方で、近年のアメリカのレストランでは、「在庫のあるものを何でもかんでも、リストに載せる必要がそもそもあるのか?」という、根本に立ち返った問いをするところも出てきています。オンラインの酒マガジン『PUNCH』にこの夏発表された記事においては、「日替わりのワインリスト」を作成するレストランの事例がいくつか紹介されました。ロサンジェルスにあるレピュブリークというレストランでは、在庫している2000銘柄の中から、毎日75銘柄をチョイスしてその日のリストを作成しています。選定の基準は、仕入食材に応じたその日のオススメ料理との相性と、季節・天候。ソムリエが推したいワインが入ることもあります。全銘柄を記載したゴツいリストは用意されておらず、「載ってないものが欲しいときは、別途相談してくれたまえ」と、日替わりリストに書かれているだけです。
高級店ならば、料理のメニューが少なくとも季節毎には変わりますし、一部か全部を日替わりにしているところも珍しくありません。なのに、ワインリストが年中同じ、というのは考えてみればおかしな話です。上記『PUNCH』の記事内でも、レピュブリークのワイン・ディレクターが、「クソ暑い夏のさなかに、シャトーヌフ・デュ・パープやアマローネなんか(リストに)いらんでしょう」と言っております。もちろん、夏でもアマローネを飲みたい精力モリモリのお客さんがいないわけではないでしょうけれど、そういう例外的な人は「ないの?」と聞けばいいんですしね。
コース料理の一皿一皿にあわせたワイン・ペアリング・メニューも、ワインと料理との相性という点では素晴らしいのですが、自分で選ぶ楽しみがありません。アラカルト派のお客さんにとって、その日その日の料理メニューに合わせたワインリストは、なかなかよいアイデアだと思われます。もちろん店の人の手間はうんとかかるわけですが、生き馬の目を抜いてナンボの飲食業界、日本のお店もそれぐらいやってもいいのではないかと。
そういえば、ニューヨークの某一流レストランのソムリエさんが以前、「日本の高級店のワインリストを見ていて一番恥ずかしいと思うのは、欠品の銘柄を横線で消してあるやつ。あんなのニューヨークではありえない。カッコわるすぎ」と、全力でディスっていらっしゃいました。日替わりのワインリストが手間的にちょっと無理だとしても、欠品の銘柄を消して日々印刷しなおすぐらいは、最低限やったほうがいいようです。あと、原語だけではなく、カタカナ併記もあったほうがやっぱりよいかと。
<参考サイト>
http://www.winespectator.com/webfeature/show/id/46707
http://punchdrink.com/…/should-a-restaurant-wine-list-chan…/
*********************************
立花峰夫:
ワイン専門翻訳サービス タチバナ・ペール・エ・フィス代表。
ワインライターとして専門誌に寄稿も行う。訳書・監修書多数。
(タチバナ・ペール・エ・フィス: http://www.tpf.kyoto.jp)
*********************************