いたいけなビギナーの皆様を、ワインから遠ざけてしまっている諸要因のひとつが、「数が多すぎて、どれを飲むべきなのかわかんない」というものです。このコラムをお読みの方の大半は、もうそんな感覚を久しく忘れてしまっているかと思うのですが、最初は誰でもそうだったはずでして、でしょ。奮発して値段の高いものを買ってみても、「これって美味しいの?」ということがあったり、逆に勢いでラベル買いした期待薄のアイテムが大当たりだったり。この根深い問題を解決するためには、従来からふたつの方向性がありました。
1) ワインを体系的に勉強しながらあれこれ飲み、経験値を上げる
2) 馴染みの店・店員さん(ソムリエさん)をつくり、その人のアドバイスに従う
このふたつの中だと、1) よりも2) のほうが、他力本願で済むので明らかに簡単です。ベテランの店員さんやソムリエさんといえども、超能力者ではないので一見のお客さんの好みを透視することはもちろんできないのですが、常連になってくると、「こないだお買い求めいただいたキアンティ、お口に合いましたか?」とかさりげなく聞いてくれて、こちらの好みを把握してくれるようになるのですね。
しかし、私たちの日常生活がどんどんデジタルになりつつある昨今、こうしたコンシェルジェ的サービスを、コンピューターのアルゴリズムでやってしまえという発想が当然のように出てきます。2015年の秋にアメリカでローンチになった、Wine Ringというスマホアプリがその一例。
このアプリを開いて、飲んだワインについて、「愛してる」「好き」「まあまあ」「嫌い」というのをその都度入力してやるのですよ。そうすると、その嗜好データをもとに、これから飲もうと思っているワインについても、「きっとあなたはこのワインが好き/嫌いでしょう」と予測してくれるという仕組み。特許をとったというアルゴリズムは、心理学博士とマスター・オブ・ワインが協同で作ったものだそうでして、実際に私は使ってないのでどの程度の精度なのかはわかりませんが、アマゾンの「あなたにおすすめ」くらいにはきっと役に立つのでしょう。ユーザーが入力する好き/嫌いのデータが溜まっていけばいくほど、精度も上がるんでしょうね。これは、結果(経験)から原理へと遡っていく帰納的アプローチです。
一方でごく最近には、個人がもつ遺伝子から、好みのワインを推定するという演繹的アプローチも登場いたしました。昨年の秋、カリフォルニア州ソノマ郡の町ヒールスバーグにあるヴェンチャー企業が、個人の遺伝子解析結果をもとに、好みのワインを判定・販売するサービスを開始したのです。Vinomeという名のこの企業に、分析費用199ドルを支払って唾液のサンプルを提出すると、DNAに含まれる10の遺伝的変異を調べてもらうことができ、その結果に基づくお勧めワインの購入ができるというもの。同社によれば、人間の舌と鼻による味と匂いの区別を司る遺伝子は400以上あるそうですが、モニター実験を繰り返した結果、比較的シンプルなテストでワインについての好みを判定することができると判明したのだと。ホントなら、これはなかなか新しい。
ただし、科学者の中には、このサービスを批判的に見る人も当然おります。下記の『ドリンクス・ビジネス』の記事によれば、ノース・カロライナ大学で医療遺伝子学を研究するジム・エヴァンス教授は、「まったく馬鹿げた話。味の好みがわかるようになるほど、まだ遺伝子の研究は進んでいない」と切って捨てています。ふむ、まあたしかに少々眉唾な匂いはしますね、今のところ。
とはいえ、私たちが同じワインを飲んでいても、脳が感じる知覚イメージ(クオリア)が一人一人違うというのは、科学的にも検証・立証されてきていることです。ワインに含まれる香り物質の閾値(「感覚や反応や興奮を起こさせるのに必要な、最小の強度や刺激などの(物理)量」 by Google)は、香り物質ごとに人によって違います。極端な例でいうと、スミレの香りと表現されるイオノンという物質は、全人口の約3割の人はまったく知覚できません。閾値の高低は訓練によってある程度変化させることもできるのですが、イオノンを感じないような例は、生まれついての遺伝子レベルで決まっているものでして、どんなに頑張ってもそこは変えられません。
また、昨年には人間の唾液に含まれる微生物が、ワインの風味を変える現象についての研究論文が発表されました。ワイン中には、香りの前駆物質と呼ばれるグリコシド化合物が含まれていて、これはそのままだと香りを放たないのですが、唾液中に含まれる特定微生物の働きによって、テルペンなど香りを放つ物質に変化します。興味深いのは、人はひとりひとり、唾液中に含まれる微生物の種類が異なっていることで、同じワインを飲んでいても、どの微生物が唾液中にいるかによって、感じるワインの風味が違ってくるらしいのです。
個人別のワインお好み判定サービスは、帰納・演繹の両方向ともにまだかなりプリミティブな状態にありますが、あと10年も経たないうちに、ずいぶん進化していそうですよね。しばらく前から、「人工知能によって、必要なくなる職業一覧」みたいな記事があちこちに出るようになりましたが、ショップの店員さんもソムリエさんも、コンピューターのアルゴリズムや遺伝子解析技術に負けないよう、今後は新しいスキルや付加価値を身につけていく必要がありそうです。
<参考サイト>
https://www.winering.com/…/20…/10/Wine-Ring-News-Release.pdf
https://www.vinome.com
https://www.thedrinksbusiness.com/…/us-startup-claims-it-c…/
http://www.academicwino.com/…/oral-bacteria-aromatic-volat…/
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立花峰夫:
ワイン専門翻訳サービス タチバナ・ペール・エ・フィス代表。
ワインライターとして専門誌に寄稿も行う。訳書・監修書多数。
(タチバナ・ペール・エ・フィス: http://www.tpf.kyoto.jp)
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