有機栽培か、ビオディナミか、はたまたリュット・レゾネかという方向性の違いはあれど、世界のワイン産地は着実に、環境へ配慮した耕作法へと向かっています。たとえばボルドー。一昔までは、「ウチはそういうんじゃないから」という感じだったのに、今では有機栽培やビオディナミの実践者がずいぶん増えましたし、最近は地方全体でも防カビ剤・殺虫剤の使用を減らそうとやっきです。大変結構な話なのですが、その背景には、「必要に迫られてやむなくの事情」というのがあります。昨今、同地方の防カビ剤・殺虫剤使用量が国内最大であること、子供の健康被害との因果関係が疑われていることなどが、フランスで大きな問題になっているのです。昨年2月、公共テレビ局「フランス2」がこの問題にフォーカスした2時間のドキュメンタリーを放映したことが引き金になり、大規模なデモにまで発展しました。
大西洋の向こう側、ボルドーに並び立つカベルネを造る高級産地ナパにも、似たような話があります。現在のナパは、少なくともいくつかの側面においては、世界で最もエコな産地となりました。ゴージャスな観光ワイン産地というイメージが強いせいか、あまりエコエコした匂いはしてこないナパですが、非常に真面目な、労力とお金をかけた取り組みを、産地をあげてしてきたのです。ただ、やっぱりそこには、「必要に迫られてやむなくの事情」があるのでした。
まずは取り組みのご紹介から。ナパでは2000年以降、「ナパ・グリーン」という名の、ブドウ栽培・ワイン製造に関する環境保護プログラムを推進しています。ブドウ栽培家団体、ワイン生産者団体、環境団体、ナパ郡当局など20以上の組織が共同で運営するもので、第三者機関によるその認証は「土地 Land」(2000年開始)と「ワイナリー Winery」(2008年開始)に分かれています。現在ナパ・ヴァレーのブドウ畑の4割以上が「土地」の認証を、約1割のワイン生産者が「ワイナリー」の認証を獲得済。旗振り役である生産者団体ナパ・ヴァレー・ヴィントナーズは、現在525を数えるメンバー生産者全員が、2020年までにプログラムに参加するのを目標にしています。
詳しく説明するととても長くなるのでポイントだけを述べますが、このプログラムは畑やワイナリーからのアウトプットを極力減らすことによって、ワイン製造が環境に与える負荷をミニマムにしようというのがその主眼。具体的には、畑や敷地からの表土や汚染物質の流出防止、ワイナリーでの二酸化炭素排出や水の使用、廃棄物の量を減らすといったことです。有機栽培の認証基準が、畑へのインプットを極力減らそうとする方向を向いているのとは、対照的なアプローチと言えます(有機栽培の思想の根本には、小宇宙として完結した農場を作り、周辺環境と調和するという考えがあるのですが、認証を得るための具体的な基準は、「○○を使わない」です)。
ナパ・グリーンのプログラムは、かなり徹底した内容のものになっています。何故かというと、「ワイナリーの自衛」が、その目的の一部としてあるからです。自衛とはすなわち、近隣住民や環境団体から訴訟を起こされないようにすること。ナパでは1990年代に、ワイナリーを相手どった環境訴訟が頻発し、それで結構大変な目にあってきたという歴史があるのです。
「環境戦争」の火種は1980年代後半に生じました。ナパが高名になり、続々と新しいワイナリーが建つようになったことで、訪問客の巻き起こす喧噪、週末毎の道路の大渋滞といった「近所迷惑」が発生したのです。新しくワイナリーを興した所有者たちに、他所の土地からやってきた富裕層が多かったことも、古くからの住民の反感を買いました。また、この頃から谷底平地(ヴァレー・フロア)に使える土地がなくなったため、ナパ渓谷の東西にある山腹斜面(ヒルサイド)に新しい畑が拓かれるようになっていきます。
そして大きな問題が生じました。山腹斜面の森林を伐採して拓いた畑から大量の表土が流出し、貯水地や河川に流れ込んだのです。ナパ川およびその支流には固有のサケ、マスが何種類もいるのですが、その生態系が危機にさらされているという調査報告があがりました。事態を重く見た地元の環境運動家・団体は、ワイナリーやナパ郡当局を相手どり、次々に訴訟を起こします。その過程でナパ郡では、ワイナリーの活動を縛り、開発を制限する条例が、いくつも成立していきました。
そんなわけで、今のナパにはまあいろんな規制があるのですが、一番重要なのが斜面耕作条例(1991年)です。これは、5%以上の傾斜地にブドウを新植、再植するには郡の許可が必要とするもので、30%以上の斜面については新植が全面禁止されています。「なんだ、許可取ればいいのか」と思われるかもしれませんが、そんな簡単なものではありません。莫大な費用をかけて、環境アセスメントをせねばならないのです。その調査・申請コストは、大規模な畑ならば数億円単位にもなり、許可を得るまでに何年もかかることがあります。
そんなこんなで、ワイナリー/ブドウ畑と近隣住民/環境団体との緊張関係は今も続いています。ワイナリー側からすれば、「こんなに条例で縛られてたのでは、何もできん」というぐらいガチガチの状態なのですが、住民・環境団体からすれば「まだまだ手ぬるい。もっと厳しく」ということになります。もちろん、「環境を破壊してはいけません」という主張には誰も反論できないのですが、かといってナパは国立公園ではないのです。何かしらのビジネスをして、皆で食べていかねばなりません。そのためにはブドウ栽培・ワイン造りが一番いいでしょう、シリコン・ヴァレーみたいになるよりマシでしょうというのがワイナリー側の立場。まあどこまで行っても平行線の議論ではあるものの、落としどころは必要です。利害関係者が皆で集まって、両陣営が妥協できるラインを探しましょうということになり、そこで生まれたひとつの形がナパ・グリーンのプログラムなのです。
「必要に迫られてやむなくのエコ」に、抵抗を感じる人もいらっしゃるでしょう。エコはきれいな心から、澄んだ泉のように湧き出てほしいと願うのは人情です。しかし、残念ながら大人の世界はそんなふうには出来ていません。努力が必要なことは、みんな必要に迫られてやるのが普通です。動機がどうあれ、結果として環境負荷が現実に小さくなっているならば、それでいいのだと私は思います。
<参考サイト>
http://www.decanter.com/…/tv-documentary-puts-bordeaux-and…/
https://napagreen.org
*********************************
立花峰夫:
ワイン専門翻訳サービス タチバナ・ペール・エ・フィス代表。
ワインライターとして専門誌に寄稿も行う。訳書・監修書多数。
(タチバナ・ペール・エ・フィス: http://www.tpf.kyoto.jp)
*********************************