先日、某所でとある高級赤ワインについての製造レシピを聞きました。その蔵の醸造コンサルタント自身が、いろんな数字をあげてパブリックの場で説明した話なので、嘘偽りのない実情です。日本未輸入の銘柄ですが、そこそこの値段がついていて、評論家の御覚えも悪くない某国産のカベルネ・ソーヴィニョン。つまびらかにされた情報は、なかなかショッキングでした。出来上がりのワインに含まれる酸味の半分ぐらいを酒石酸の補酸でまかなっている上に、醸造用タンニンの添加はするは、いろんな酵素はブチ込みまくるはで、もともとのブドウの原型なんか、ほぼ留めていない感じです。アルコールの低減については何も触れられていませんでしたが、何かやっているだろうことは、発表された諸々の基礎数字から推察できました。
まあ困ったことにというとアレですが、このワインが飲むと普通に美味しいのです。なんの予備知識もなしに飲めば、「変身サイボーグ1号」だなんてわかりません。スペックを聞くと、「これって原料はブドウじゃなくていいよね。ジャガイモかコーンスターチでいいのでは」と思うぐらい、スーパー全身整形美人なワインのわけなのですが、グラスに注がれた液体を飲む分にはただの素敵なお味なのです。私の舌がバカなだけなのかもしれませんが、なかなかに沈思黙考させられる体験でした。
醸造過程でワインの味を変える人為的介入にはいろんなものがあります。主だったものをあげると補糖(発酵中の糖分添加によるアルコール度数の嵩上げ)、アルコール低減処理(加水、逆浸透膜、スピニング・コーンといった手法でアルコールを下げる)、補酸(酒石酸添加によって酸味を強める)、除酸(炭酸カルシウム添加によって酸味を弱める)、タンニン添加(粉末状の醸造用タンニンの添加で渋味を強める)といったものです。
いわゆる自然派の急進的造り手たちにとって、こうした人為的操作は忌諱すべき、唾棄すべきものなのですが、私自身は全否定する気にはなりません。結構な値段のするワインが、上記のようなサイボーグ1号だとやっぱりちょっと萎えるのですが、それはワインに自然の影をつい求めてしまう私の個人的な偏向に由来するもので、合理的な判断ではないからです。サイボーグ1号でも十分に美味しければ、まったく気にしない飲み手の方も大勢いらっしゃることでしょう。別に違法なことをしているわけではないのですから。行列のできるラーメン店で、大量の化学調味料が使われていることに、目くじらを立てる人がいる一方で、「美味いんですけど、それが何か?」というお客さんがまた大勢いるのと同じ話かと。
倫理の問題を語るのは難しいことです。ワインはテロワールの味がすべき、ヴィンテージの味がすべきと考えるなら、原料の組成を極端に変えることはよろしくないことでしょう。ただ、だからといって、自然な方法で出来上がるワインが美味いとは限りません。実際には、そうでないことが結構多い。もう一方の対極には、「ウマければ~それでいいんだ~。ひねくれて星を睨んだボクなーのさー」というアプローチがあります。こっちのワインはいつも確実にそこそこ美味いけれど、やっぱり素材をいじくればいじくるほど、ワインから魂が抜けていく気がします。魂ってなんだよっ、と詰め寄られると私も答えには窮しますし、ほぼ気のせいのような話でもあるのですが、でもどこかで人が感じ取れることのような気もします。
今回の経験で私が学んだのは、白黒の二分法で考えることの浅はかさです。補酸ひとつとっても、毎年絶対にしない人から、必要なときにだけ最低限する人、まあまあの量をいつもする人、信じがたい量の酒石酸を放り込む人まで、無段階のグラデーションがあり、それに応じて「魂の抜け具合」が違ってきます。しかし、生産現場の人間以外の私たち(流通関係者も含みます)が受け取れる情報といえば、「ウチは○○してません」というゼロ宣言か、何も語らない沈黙かのいずれかしかありません。「補酸はすることはあるけれど、XXXX年みたいな酷暑の年に、リットルあたり△△グラム入れるぐらい」みたいな情報は、残念ながらまず聞こえてこないのです。
この点について、生産者を責めることはできません。語っても理解してもらえないことは、誰だってしゃべりませんから。補酸の数字を聞いてその程度を判断できる人間が、醸造関係者以外にはほぼいないことを考えると、仕方ないことなのでしょう。
今回のコラムには結論がありません。やっているか、やっていないかではなく、程度が大事なのだというのが私の今の考えですが、消費者としてそれを知る術がない以上、「はあ、それで?」ということにしかならないのです。いわゆる自然派ワインがノーメイクの女性だとしても、世間の女性の大半はお化粧をしています。ナントカ夫人やナントカ姉妹みたいな超厚化粧の女性から、ナチュラル・メイクの女性まで無段階にいるのですが、ワインは女の人のお化粧とは違って、見ただけではわからないことが多い。醸造現場にいる人以外の「素人」には、やはりなかなか化粧の程度を見抜くことは簡単ではないと思うのです。「ナチュラル・メイク風厚化粧」みたいなテクは、いっぱいあるでしょうから。飲んでわからないことは、そもそも気にしなくていいことなのでしょうか。読者の皆様のご意見をお伺いできればと思います。
*********************************
立花峰夫:
ワイン専門翻訳サービス タチバナ・ペール・エ・フィス代表。
ワインライターとして専門誌に寄稿も行う。訳書・監修書多数。
(タチバナ・ペール・エ・フィス: http://www.tpf.kyoto.jp)
*********************************