最強の飲み残しワイン保管器具、コラヴァンがとうとう日本に上陸したけれど、使われているガスが日本だけ窒素で、諸外国ではみんなアルゴンを使っていて、というのが前編のお話でした。
コラヴァンの開発者に尋ねたところ、試作品の段階では、窒素とアルゴンの両方をガスとして検討していたそうです。ともに不活性ガスと呼ばれる、化学反応を極めて起こしにくいニュートラルな性質の気体になります。ただし窒素は、高温・高圧化では若干の化学反応性をもつらしいので、厳密な意味での不活性ガスにはあたらないそうです。しかし、ことワインの保管に関する限り、そんな極端な環境は考えられないので、化学反応性についてはアルゴンも窒素も変わらないと考えてよいでしょう。ガス自体の製造コストは、アルゴンのほうが高く、3倍から4倍かかるとのこと。じゃあ、窒素がいいやんかと思いがちですが、窒素とアルゴンでは重さが違うのです。空気に対する比重は、窒素が0.97、アルゴンは1.38。そう、窒素は空気よりちょっと軽いのに対して、アルゴンは空気よりだいぶ重いのでした(ちなみに酸素の比重は1.11、二酸化炭素の比重は1.53です)。
コラヴァンは、ニードル(注射針)をブスっとコルクに刺して、瓶内の空隙に不活性ガスを充填します(そのガス圧でワインを押し出すのです)。窒素でもアルゴンでも、空隙を完全に満たしている限りにおいて問題はないのですが、針を刺しっぱなしにしておいたときに、窒素だと針の穴を通ってガスがゆっくり外に漏れてきてしまうのですね(空気より軽いからです)。なので、窒素を使う日本版コラヴァンでは、用が済んだらとっとと針をコルクから抜かなければなりません。
さて、ここからはコラヴァンの話から逸れていくのですが、アルゴンも窒素も、ともにワイナリーで頻繁に使われるガスです。たとえば、ワインをステレンレス・タンクに保管するとき、タンク内部の上のほうに空隙ができます。そこに窒素やアルゴンを充填して、ワインが空気(酸素)と触れるのを防ぐのですね。ドライアイス(二酸化炭素)を放り込む方法もあります。どのガスを使うかは、国や地方、ワイナリーによってまちまちです。ドライアイスや窒素は、小型の製造器を買えばワイナリー内でも造れますので、便利ですし安いです。アルゴンは業者から買わないといけないですし、そもそも大気中に含まれている量が窒素よりうんと少ないため、かなり高価です。
ただ、アルゴンのとてもよいところは、前述のように空気よりも重いこと。タンク内の空隙に満充填しなくても、落としぶたのようにワインの液面を覆うことによって、ワインを酸化から守ってくれるのであります(だから、ガス自体は高価でも、使う量が少なくて済むので、さほどコスト高にならないという話もあります)。なお、二酸化炭素はアルゴンよりもさらに重いガスなのですが、水に溶解しやすい性質があるため、どんどんワインに溶けて量が減ってしまうのが欠点です(減ったらまた足せばいいんですけどね)。なお、瓶詰め時のヘッドスペース(コルクと液面の間の空隙)の置換にも、こうしたガスは使われています。
さて、前回も書きましたが、日本の食品衛生法においては、アルゴンが指定添加物、既存添加物のいずれにも認められていないため、ワインを含むあらゆる飲食物での使用が禁じられています。アルゴンは不活性ガスなので、どう考えても食品や飲料に何の影響も与えません。しかし、なんでも昔のお役人さんの「うっかり」だか「こっそり」だかで、リストに載らなかったという噂を、今回の取材で耳にしました。
単純な私は、義憤に駆られました。コラヴァンの窒素版が、日本で発売されるよりずっと前の話です。「うっかり」だか「こっそり」だかは知りませんが、妙な現状を今から是正しましょうよ、アルゴンが食品衛生法の添加物リストに載ったら、(アルゴン版の)コラヴァンも輸入できるようになるし、ワイナリーでも使えるようになるじゃないですか、と私は考えました。それで、食品衛生法を管轄する厚生労働省に突撃電話をして、「ねえ、載せてよ」と頼んでみたのです。そうすると、
●食品添加物に指定してもらうには、大変に面倒な申請がいる(下記リンク参照)。
●申請から指定までの期間は、最短でも2年ちょっとはかかる。
●申請対象の添加物のリスク評価などのコストは、すべて申請者負担。ケースバイケースだが、1000万円を軽く超える金額になることもあるし、もう少し安く済むこともある。
というお答え。不活性ガスになんでリスク評価がいるねん、という当然の疑問は、もちろん霞ヶ関さまには通じません。くどくどとあれこれ聞いていると、「ああ、うるさい。こっちは忙しいんだよ。一回死んでからまた来なさい」と言わんばかりに電話を切られてしまいました。それでも、えらくお金と時間がかかることだけはわかったのです。
ほかでちょっとヒアリングしたところ、「アルゴンを食品添加物リストに載せるための申請関連費用は、1000~1500万円ぐらいでしょう」という、ガスボンベ屋さんの概算見積が得られました。また、「申請から2年ちょっとで指定」というのはあくまで建前で、しかるべき筋からちゃんと持っていかないと、書類が整っていようとなんだろうと、何年も棚ざらしにされることがあるよ、ということでした。お役人さん、こわーい。
そうこうしているうちに、窒素ガスを使った日本版コラヴァンが発売されたので、「日本のワイン市場がますますガラパゴス化する」という、私の憂慮はとりあえず取り払われたのでした。ワイナリーでのアルゴン使用についても、日本の造り手さん数人に尋ねたときの反応が、「それいる? 窒素かドライアイスで十分っしょ」という感じだったので、別になくてもいいのかなあと思います。でも、不合理で不条理な官僚制への不信は、今も私の中で消えていないのでした。
※今回のアルゴンに関する取材では、多くの方にお知恵や貴重な情報を授かりました。この場をお借りして、改めて心より御礼申し上げます。
<参考サイト>
http://www.mhlw.go.jp/…/…/shokuhin/syokuten/qa_jigyosya.html
http://vinovation.com/ArticleArgon2.htm
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立花峰夫:
ワインスクール「アカデミー・デュ・ヴァン」スクールマネージャー。
ワインライターとして専門誌に寄稿も行う。訳書・監修書多数。
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