お肌の曲がり角をとうに過ぎ、四十肩をやって老眼鏡も手放せなくなり、子供も成人し、中年ど真ん中も折り返してしまったこのわたしは、「ああ、むかしはよかったなあ」と過去を振り返ってばかりのお年頃になりました。恥の多い生涯を送ってきましたので、個人的な来し方についていえば、よかったことなどほとんどありません。が、「むかしは高いワインが安かったなあ」ということだけは、いつもとても甘酸っぱく思い出されます。
わたしがワインに目覚めたのは、1995年ごろです。20代前半でしたが、まだ業界に入る前で、まあまあ給料のいい会社に勤めていましたから、そこそこいいワインが飲めていました。今でもよく思い出すのは、そのころ町田のエノテカで、1982年ヴィンテージのシャトー・オー・ブリオンが2万円で売られていたことです。「ほしい。でも、にまんえーん……」と、店頭で1時間はウンウン悶えた末に、結局買いました。そしてすぐ飲みました。ワイン・サーチャーで調べると、このワインはいま、平均価格10万円で売られています。同じぐらいの経過年数ということで、2005年のオー・ブリオンをいま買うとしても、やはり10万円ほどします。
シャンパーニュのサロンを初めて店頭で見たのも同じころで、こちらもたしか1982年ヴィンテージだったと思います(当時の現行でした)。12,000円。「ひー、とても手がでない……」と思ったものの、結局やっぱり買ってすぐ飲みました。現在、同じ年のワインを買おうと思ったら、14.1万円払わなければいけません(現行ヴィンテージ2004でも、標準小売価格7.6万円です)
もっとも、こんなのはまだまだカワイイ話でしかなく、時代をさらに遡ればワインの値段は信じられないほど安くなります。1960年代のアメリカでは、ロマネ・コンティの1929年ヴィンテージ(偉大な年です)が、たった15ドルで売られていました。今の貨幣価値に換算しても、120ドルほどです。ちなみに今、1929年のロマコンが幾らするかをWine-Seacherで調べてみると、2件だけヒットしまして、302万円、317万円というお値段でした。
1995年当時のわたしにもっとお金があったなら、1982オー・ブリオンや、1982サロンを買えるだけ買って、寝かせておいたほうがよかったのでしょうか。同じお金を5%の利回りで運用しつづけたとしても、22年で2万円は5.8万円に、1.2万円は3.5万円にしかなりません。投資の観点からすると、「買えるだけ買っておいたほうがよかった」という結論になりましょう。でも、当時はこんなに値上がりするなんて予想できませんでしたからね。「こんな価格、狂気の沙汰だ」としか、そのときには思えなかったのです。
この先、同じことは起こるのでしょうかね。いま13万円で売っているラフィットの2009年が、20年後に100万円になると信じられるなら、思い切って投資してもいいかもしれません。「ワインを飲む富裕層の数は今後も増え続けるから、値段は上がり続ける」という楽観論と、「いやいや、こんなバブルはそのうち弾ける」という悲観論の両方があります。以前のコラムでも書きましたが、20年後にはワインの味を完璧に複製する技術だって実用化されているかもしれず、そうなれば高級ワインの価格は暴落するかもしれません。一方で、印刷技術がいくら発達しても、絵画の真作の価格が落ちないのと同じように、「本物」の価格が上がり続ける可能性だってあります。
なお、ワイン投資には絵画などと同じように、「流動性があんまり高くない」というデメリットがあります。大企業の株式なんかとちがって、流通量も、売る人も買う人も数が限られているので、「売りたいときに売れない」「買いたいときに買えない」という問題が生じやすいのですね。12本のシャトー・オー・ブリオンを売ったり買ったりするのは簡単ですが、1200本を一気に動かそうとすると、そうはいきません。大きなお金を動かすプロの投資家にとって、ワインはさほど魅力的な対象物ではないようです。
どうあれ、いくらで買おうとすぐ飲んでしまうわたしにとっては、関係のない話ではありますが……。
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立花峰夫:
ワインスクール「アカデミー・デュ・ヴァン」スクールマネージャー。
ワインライターとして専門誌に寄稿も行う。訳書・監修書多数。
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