みなさま、あけましておめでとうございます。年末年始、すばらしいワインを愉しまれていることでしょう。とっておきの一本のキャップシールを切る瞬間は、やっぱり興奮しますよね。
この原稿を書いている時点(12月末)で、私が元旦になんのワインを開けるのかは決まっていません。おそらく、けっこう昔に買ったワインを開けるのでしょう。上の子供が春から社会人になりますので、生まれ年のものをお祝いにするかもしれません。そして、当時いくらでそのボトルを買ったか思いだし、現行ヴィンテージの値段と比べて憂鬱になるんじゃないかなとも思います。
2017年の10月末、ブルゴーニュの特級畑クロ・ド・タールが、フランス有数の富豪フランソワ・ピノー率いるアルテミス・グループに売却されました。ブルゴーニュの特級畑が高値で、というニュースにはいい加減驚かなくなっていた私でも、さすがに度肝を抜かれたその売却価格は、推定2~2.5億ユーロ(約270~330億円)とのこと。クロ・ド・タールは7.5ヘクタールの畑なので、ワイナリーなど付帯設備の価値を考えなければ、1ヘクタールあたり2666~3333万ユーロ(約35~44億円)ということになります。2014年、お隣の特級畑クロ・デ・ランブレイ(8.85ヘクタール)を含む10.7ヘクタールのドメーヌを、LVMH傘下のエステーツ・アンド・ワインズが買収したときの金額は、1.01億ユーロでした。たった3年で、モレ村にある特級畑の評価額は倍以上になっているわけです。
クロ・ド・タール、日本のエノテカさんのサイトで2014年が47000円(税別)、セカンドワインが23000円(税別)で売られています。ヘクタールあたりの収量を特級畑の上限の35ヘクトリットルと仮定した場合、年間生産可能本数は26,000本ほどです(セカンドはプルミエ・クリュとして出荷されているので、法定収量はもう少し高くなりますが、ここでは話を単純化するため同じ収量と仮定します。また、ヴィンテージごとに許可されることがある追加収量も考慮しません)。蔵出し価格やら、グラン・ヴァンとセカンドの比率やらをむにゃむにゃと仮定すると、一年間の売り上げは多くて5億円ほどかと。ブルゴーニュにあるこのレベルの高級ワイナリーが、実際どれぐらいの利益を上げているかはよく知らないのですが、仮に50%の「ボロ儲け」だとして、年間の経常利益が約2. 5億円です。購入費用にかかる利子や商品の値上がりなどややこしいことを一切考えなかった場合、アルテミス・グループが投資を回収するまでにかかる期間は、108~132年という単純計算になります。これはちょっと、普通の投資としてはありえませんね。
アルテミス・グループは、シャトー・ラトゥールをはじめ宝石のようなワイナリーをすでにたくさんもっていますので、ブランドイメージの向上、あるいは単なる見栄のための「採算度外視の投資」だとは、ちょっと考えにくい。だとすると、「いま47000円のクロ・ド・タールが、この先10年、20年のうちに10万円になり、20万円になる」と見越しての買収なのでしょう。
ワインは、価格やプレステージ性のレンジが著しく広い点において、自動車と似ているなあと思います。同じ車でも、ボロの軽自動車10万円から1億円超えのフェラーリまであるわけです。ワインも同じように、庶民の味方ワンコイン銘柄380円から、ロマネ・コンティ200万円までの幅があります。
ただ、ワインでは一昔前まで、この幅がけっこう小さかった。少なくとも十数年前までは、フツウの若者でもちょっとお小遣いを貯めれば、オー・ブリオンやサロンが買えました。古きよき時代です。ただこれは、ヤンキーのお兄さんがロールス・ロイスに乗っているようなものでして、そう考えればむしろ「昔が不自然だった」ということになりましょう。
かつてヒュー・ジョンソン御大が、1971年に制定されたドイツ・ワイン法の問題点について、次のような意味のことを言っていました。「ドイツ・ワイン法の最大のウリとは、それが平等主義的だということである。どんな畑、どんなブドウ品種でも、糖度が高ければ最高位の格付けを名乗ることができる。しかし、高級ワインとは、そもそもが非・平等主義的なものなのだ」。ヒュー爺さんが言いたかったのは、最高のワインは優れた土地、優れた品種からしか生まれないのだから、エリート主義的な存在でしかありえないということです。
とはいうものの、1976年の「パリスの審判」以降、ワインの世は段階的に平等化されてきました。かつて、高級ワインはフランスにしかありませんでした。しかし今は、高級ワインが世界中にあります。かつて、高級ワインは高貴品種からしか生まれませんでした。しかし今は、聞いたこともないような土着品種から高級ワインが生まれるようになっています。栽培・醸造技術の洗練・進歩は、産地・品種・ヴィンテージのあらゆる側面で、ピンとキリの品質差をぐっと縮めてきましたし、それは今も続いています。スーパーで売られる500円のワインは、10年先、20年先にはいまの数倍美味しくなっていることでしょう。しかしその傍らで、ピンとキリの価格差だけは広がっていく一方です。10年先、20年先にロマネ・コンティは500万円や1000万円になり、ラフィットは50万円や100万円になるでしょう、きっと。
高級ワインには、ファインアートと共通する側面もあります。一部の希少ワインにつけられた法外な価格も、そう考えれば納得がいくのです。ゴッホの『ひまわり』が数十億円で取引されていても、別に驚きはしないのと同じように、ロマネ・コンティが1000万円になったとしても、「そういうもの」なのだと受け止めるしかありません。
とはいうものの、ファインアートは富裕層だけのものではない、ということには留意する必要があります。フツウの人でも、画集やインターネットで『ひまわり』を見ることはできますし、美術館という公共の鑑賞スペースもあります(新宿にある損保ジャパン日本興亜美術館にいけば、1200円で『ひまわり』は見られます)。高級ワインには、残念ながらそうした手段や場所が、今のところありません。
かつて、王侯貴族や教会・寺院だけのものであったファインアートは、社会の民主化とテクノロジーの発展によって、少しずつ民衆に開かれていきました。誰でも等しくその価値がわかるかどうかは、この際どうでもいいことでしょう。機会の平等が、万人に保証されるほうがはるかに大切だからです。同じように、高値の花である文化財的ワインについても、自己で所有する以外の手段・方法でもって、その価値に触れられる世の中がこないかなあと。
VR技術が今のペースで発展すれば、いつかは味覚や嗅覚の領域においても、「本物と区別できない疑似体験」ができるようになるかもしれません。また、このコラムでも以前に紹介した、化学合成で造る「高級ワインのそっくりさん」も、もうひとつの方向性です。もちろん、それでも「本物」に莫大なお金を使う人はなくならないでしょうし、それはそれですばらしい趣味ではあります。私が将来、そんな人になるかもしれません。まずは、莫大なお金を入手しないといけませんが。
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2年余りにわたって続けさせていただいたこのテキトーな連載コラムは、今回の50号をもっていったん休載となります。お読みくださっていた読者のみなさま、「いいね!」を押してくださった心優しき方々に、厚く御礼を申し上げます。50本のうちの大半の原稿は、ワインを含むアルコールの酔いのもとに書かれたもので、お酒の力が私のみみっちい筆力を多少ブーストしてくれました。そんなわけで、お酒にも礼を言わねばなりません。ありがとう。そして最後に、酔って差し障りのある原稿ばかり送り付ける無礼者を、厳しく優しくしつけてくださった、布袋ワインズの川上社長に感謝。
皆様の2018年が素晴らしい年になることを、心よりお祈り申し上げております。
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立花峰夫:
ワインスクール「アカデミー・デュ・ヴァン」スクールマネージャー。
ワインライターとして専門誌に寄稿も行う。訳書・監修書多数。
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