エミール・ペイノー大先生という、1960~1980年代のボルドー・ワイン、いや世界のワイン造りを変えた偉大なボルドー大学の醸造学者の方がおります(2004年ご逝去)。どれぐらい偉いかというと、野球のベイ・ブルースとか、バスケットのマイケル・ジョーダンぐらい偉い方です。残念ながら、私自身はお目にかかる機会がないまま亡くなられてしまいましたが、うんと若い頃、いくつかのご著書は穴があくぐらい熱心に読みました。
ペイノー先生のお書きになられたものを一生懸命読んでいたころ、私は某ワインスクールでマネージャー兼講師をしておりました。なので、先生が書かれた『Le goût du vin(ワインの味わい)』という、テイスティングの理論書はことさら夢中で読みました。この本は全編にわたってすばらしい本なのですが、胸に熱いものがこみ上げてきたのはその序文でした。序文で先生は、「なぜワイン・テイスティングを学ぶ必要があるのか?」ということを、対象とされる読者ごとに書かれていました(消費者、ワイン生産者、流通関係者、醸造学者に対して)。ワイン生産者に対して書かれたメッセージの冒頭、「あらゆるワイン関連の職業の中で、あなたのものが最高です」という言葉に触発され、私はその後2年ほどワイン醸造の現場に身を置いて修行をしたのですが、心が一番動いたのは消費者に対するメッセージでした。少し丸めて訳しますが、「あなた方が飲むワインは、あなた方のレベルに相応しいものにしかならないのです。拙劣な醸造にノーを突きつけることは、消費者の役割なのです。ワインの品質が向上するのは、消費者がよりよいワインを飲みたいと決意し、高品質のワインを買おうとすることでしか達成できません」
とてもとても深い言葉です。ワインに限らず、私たちは自分のレベルに相応しいものしか手にできません。しかし、良いモノと悪いモノを見分けるためには、教育を受ける必要があります。別に、ワインスクールに通えというのではありません。ただ、ちゃんとした目利きができるプロ、あるいは「玄人ハダシの素人」の方から教えてもらわなければ、よほどの天才的な味覚を持つ人以外は、いいものと悪いものの区別がつくようにはならないというのが現実でしょう。優れた消費者になるには相応の努力をせねばならず、優れた消費者だけがワインの品質をよくできるのです。そうした優れた消費者を、僭越ながら育てさせていただくのも、私たちプロに課された使命です。
この話題を今回ことさらに持ち出したのは、ここ10年ほど日本を席巻している自然派ワインのブームのことを念頭に置いてのことです。自然派ワインには素晴らしいものもたくさんありますが、亜硫酸をまったく、または極小量しか入れないことに起因する大きな「傷」のあるワインもいまだ散見されます。それも味のうちと言えばまあそうなのですが、新樽の香りしかしないワインがぞっとしないのと同じように、特定の醸造学的欠陥の風味が前面に出すぎているワインは、やはりその原料ブドウがもつポテンシャルを十分発揮できていないように思われます。それが「欠陥」なのか「個性」なのかの線引きは、常にとてもデリケートで微妙ではありますが。
私が最初にワイン造りを勉強させていただいたのは、勝沼の丸藤葡萄酒(ルバイヤート)というワイナリーでした。そこのオーナーである大村春夫氏はとても愛すべき素敵な人徳の持ち主なのですが、仕事のあと一緒に飲んだある夜こんなことをおっしゃられました。「ウチのワインを買ってくれる飲み手は、カネを払ってくれている限りにおいて、あらゆる文句をいう権利がある。マズいと思ったらマズいと、声高に言っていいんだ」。ペイノー先生のお言葉とつながる大村さんのお言葉には、背筋が伸びる思いをしたことをよく覚えています(大村さんは、ペイノー先生がまだ現役の頃に、ボルドーでワイン造りを学ばれた方です)。
日本では、いわゆる醸造学的欠陥を学べる施設、セミナーなどの機会が残念ながらさほど多くありません。それでも私は、どれが還元臭なのか、どれが酸化臭なのか、どれが腐敗酵母臭なのかなどなど、まずはプロの方にそれをそれと同定できるようになってもらい、その上でスクリーニングをかけたワインだけを、消費者の方にお勧めいただけないかと思うのです。もちろん別に、お勧めいただくワインが「欠陥ゼロ」である必要はありません。「このワインは開けたてのうち少し還元臭がありますが、時間とともになくなりますので、変化を楽しんでください」とか、正しいメッセージとともに消費者の皆様を啓蒙してほしいのです。
日本にワインの「プロ」が何人いるのかわかりませんが、消費者の皆様はその何百倍、何千倍といます。しかし、「プロ」には口があります。プロの口が消費者を変え、消費者がワインを変えるのです。私たちプロの役割、責任はとても重大だと思います。
いわゆるワインの欠陥について学びたいプロの方は、東京、大阪、名古屋で営業しているアカデミー・デュ・ヴァンというワインスクールに問い合わせてください。楠田卓也先生というその道の専門家が、ずっとそのテーマの講座を実施されています。
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立花峰夫:
ワイン専門翻訳サービス タチバナ・ペール・エ・フィス代表。
ワインライターとして専門誌に寄稿も行う。訳書・監修書多数。
(タチバナ・ペール・エ・フィス: http://www.tpf.kyoto.jp)
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