前回のコラム「古木イズビューティフル」では、カリフォルニアに散在する古木の畑から生まれる、宝石のようなワインについてご紹介しました。かの地には、そうした畑のブドウにこだわる「古木ハンター」の造り手が幾人もいるのですが、その代表格の一人、スリー・ワイン・カンパニーのオーナー/栽培醸造責任者であるマット・クライン氏が、2019年6月に来日しました。以下は、そのマット・クライン氏に古木をめぐってあれこれ尋ねたインタヴューとなります。
マット・クライン氏は1961年生まれ。温厚で思慮深い紳士ですが、ワイン造りについて口をひとたび開けば、その語りが止まらなくなる情熱の持ち主です。布袋ワインズが扱うクライン・セラーズを、兄のフレッドとともに1982年以来営んでいたのですが、思うところあって2001年に独立、妻エリンとふたりでスリーの前身とも言えるトリニタス・ワイン・セラーズを起業しました。2006年にトリニタスを売却したのち、スリーを設立。サンフランシスコ湾の東に広がる、コントラ・コスタ郡の古木の畑にフォーカスして、お値頃ながらも大変高品質なワインを生産しています。
スリー(Three=3)の名に込められているのは、「土壌」、「微気候」、「持続可能なワイン造り」という3つのエレメント。丸めて日本語に訳せば、さしずめ「天・地・人」ということになりましょうか。コントラ・コスタ郡で伝統的に栽培されてきた、ジンファンデル、カリニャン、マタロ(ムールヴェドル)の3品種へのこだわりも、このワイナリー名は表しています。
●スリー・ワイン・カンパニー
http://www.hoteiwines.jp/winery/winery_detail.cfm?dmnID=79
●クライン・セラーズ
http://www.hoteiwines.jp/winery/winery_detail.cfm?dmnID=6
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――あなたが古木のブドウ畑にこだわるのは何故なのでしょう?
「ジンファンデル、カリニャンなど古木の畑に植わっている品種たちは、カリフォルニアでもともと栽培するよう推奨されていたものだからだよ。州政府の委託で運営されていた実験農場で、20年にわたる栽培試験を行って選ばれたのさ。私が扱っているブドウ畑は、西海岸と東海岸を結ぶ大陸横断鉄道が開通してすぐ、1880年代半ばに植えられたものでね。歴史的にも文化的にも重要なんだ。
コントラ・コスタ郡の古木の畑のほとんどは自根のブドウで、地面から上も下も同じ品種さ。接ぎ木したブドウと比べると、樹の寿命が長い。根の深さは6~9mで、そのほとんどは今でも灌漑なしで栽培されている。地下水脈がだいたいそれぐらいの深さにあるから、干魃の年でも影響を受けにくいんだ。こういう畑からは、世界的に見ても、誰も聞いたことがないような面白いワインが出来ていると思うよ。
カリフォルニアの古木の畑も、ヨーロッパ的なモデルに沿って植えられていてね。つまりは、酸化的品種と還元的品種を気候と土壌に合わせて植えるのさ。酸化的品種ってのは、酸素に鋭敏に反応するブドウで、たとえばジンファンデルやグルナッシュがそれにあたる。果皮が薄く、フェノールの構造から酸素と反応しやすいんだ。逆に、還元的品種てのは、果皮が厚く、酸化に対して強いブドウさ。酸素との反応がゆっくりと進む。私が思うに、ブレンドでこのふたつのタイプを混ぜてやると、好ましいバランスができあがるんだ。酸化的品種は香り高さ、還元的品種はタンニンの構造と色をもたらす。19世紀にこうした品種を植えた人たちは、科学的なことこそわかっていなかったけど、経験から知っていたのだろう。統計によれば、禁酒法以前、カリフォルニアに植わっていた品種の9割は、ジンファンデル、カリニャン、マタロで占められていた。マタロは最も還元的な品種のひとつで、カリニャンも還元的品種だ。プティット・シラーもそう。一方、酸化的品種の代表がジンファンデル。グルナッシュも酸化的品種で、当時世界一栽培面積の広いブドウだったけれど、カリフォルニアで広がらなかったのは、ジンファンデルの存在があったからだろう。
あとはそうだな、私は今までずっと『ニッチ狙い』の醸造家でね。古木というこの狙いが当たって、経営的に成功してきたんだ」
――古木のブドウでできたワインは、風味や味の点で若木のブドウと何が違うのでしょう?
「一般的に、古木のワインはテクスチュアと色が豊かで、果皮が厚くなるからタンニンの骨格が強くなる。古木は根が深く張っていて、概して言うと樹勢が弱い。若木は、植物として生き延びるために早く成長するようプログラムされているんだけれど、一旦根が十分深く張ったら、樹体のバランスが取れるようになるんだ。ただ、古木でも灌漑がなされると、樹勢は強くなっちゃうけどね」
――混植のブドウ畑では、品種別に成熟スピードが異なると思うのですが、どのように収穫タイミングを決めているのでしょう?
「品種別にサンプリングして決めているよ。誤解があるようだから言っておくと、私が扱っているブドウ畑は商業栽培されているものだからね、基本的に品種は区画別に植えられている。ただ、それぞれの区画に若干量だけ、別のブドウ樹が混ぜられているのさ。2~6%ってところかな。1870年代以前の畑は事情が違って、混植の比率がもっと高いけどね。私の扱っている畑で、別のブドウ品種をランダムに混ぜるのは、植え替えのための穂木を取るためだったようだ。当時の栽培家たちは貧しくて、(苗木屋から苗木を買うのではなく)自分で穂木を育てないといけなかったんだ。
とはいえ、アリカンテだけはたいてい、ジンファンデルと混醸するために混植されている。アリカンテはタンチュリエと呼ばれる果肉まで赤いブドウでね。ジンファンデルは色が濃い品種ではないから、色を付けるために混醸するんだ」
――ジンファンデル、プティット・シラー、カリニャン、アリカンテといったそれぞれの品種が、ワインになったときにどういう役割を果たすかを教えてください。
「そんなふうにブドウを混ぜるのは、ヨーロッパの連中が地中海沿いで何百年もやってきたことと同じでね。唯一の違いは、カリフォルニアではグルナッシュの代わりがジンファンデルだってことさ。ジンファンデルは、グルナッシュにも似た華やかなアロマ(赤系や黒系の果実とスパイス風味)を、酸素に触れさせるとたちどころに放ってくれるし、ボディ(アルコールの甘味)もブレンドしたワインにもたらしてくれる。(香り高さは)果皮が薄いことから来る特性さ。ジンファンデルがグルナッシュよりもカリフォルニアで好まれたのは、ユータイパなどブドウの幹を冒す病害に対して、比較的抵抗性があったからだろうと思う。
アリカンテ・ブーシェは、グルナッシュと、タンチュリエのプティット・ブーシェの交配品種で、赤ワインの色を増すために、主にポルトガル移民の栽培家たちによって繁殖されていた。プティット・シラーを好んだのはイタリア系で、色とタンニンの骨格が目当て。カリニャンについては、痩せた土地で灌漑をせずに育てると、とてもいいブドウを成らすことがある。カリニャンの品質を考える上では樹齢が重要で、というのもこの品種は最も樹勢の強いヴィニフェラのひとつだから。幸い、その強い樹勢のおかげで、幹を冒す病害にはとても強く、寿命も長いようだがね。ブラックチェリー風味、色、肉付きのよい口当たりが、私の扱う古木のカリニャンの主だった特徴だ。この口当りが、ジンファンデルとブレンドすると絶妙になるんだ」
――アメリカの19世紀後半の混植の畑で、他の品種よりもジンファンデルが支配的になったのは何故なのでしょう?
「禁酒法が施行されたずっと後になるまで、ジンファンデルは『支配的』とまでは言えない品種だった。果皮の薄いブドウだったから、長距離輸送に向かなかったんだよ。ジンファンデルが支配的になったのは、品種名のラベル表示が(1930年代に)始まり、消費を高めるマーケティング手法とともに法制化されてからさ。大陸横断鉄道開通から1920年1月までの農作物統計を参照すれば、ジンファンデル、カリニャン、マタロが、黒ブドウ栽培面積の9割を占めていた、主要3品種だということが分かる。私の扱う古木の畑でも、主要な品種はこの3つになる」
――よいワインを造るにあたって、樹齢の高さとテロワールの条件の良さは、どちらが重要だと考えますか? また、カリフォルニアに残る古木の畑は、禁酒法の時代をくぐり抜けているので、よいテロワールのものしか残っていないという意見がありますが、どう思いますか?
「そりゃ、樹齢よりもテロワールのほうが重要だよ。禁酒法に関して言うと、この法律はブドウ畑の拡大にとってはプラスに働いたんだけれど(注:法律で許可された自家醸造用ブドウの需要が増したため)、これがかえって災いしたんだ。禁酒法が1919年1月に施行されたとき、2,500人の醸造家が職を失った。この醸造家たちこそが、栽培家とのブドウ売買契約を通じて、どの場所に何の品種を植えたらいいかをコントロールする役割を果たしていたんだ。禁酒法の抜け穴(一家族あたり年間200ガロンまでの自家醸造が認められていた)が、でたらめなブドウ畑の拡大を招き、結局はカリフォルニアをダメにしたのさ」
――あなたがブドウを得ているコントラ・コスタ郡のテロワールの特徴を教えてください。
「海岸に見られるような砂質のローム土壌で、有機物が極めて少ない。この土壌は、近接するサンフランシスコ湾からセントラル・ヴァレー地区へと吹く風によって形成されたものだ。風が強く紫外線も強いので、ブドウの果皮が厚くなり、赤ワインの色が濃くなる。この風は、光合成を抑え、酸味を保つことにも役だってくれている」
――コントラ・コスタ郡には、なぜ多くの古木の畑が今も残っているのでしょうか?
「コントラ・コスタ郡のブドウは、禁酒法の期間とその後、自家醸造用のブドウとして高い値段で取引されていたんだ。この傾向は、私と兄がクライン・セラーズを興した1980年代まで続いたんだよ。私たち兄弟はすぐにこの場所のブドウが持つ価値に気づいて、ボニー・ドゥーンのランダール・グラムや、リッジ・ヴィンヤーズのポール・ドレーパーに果実を売り始めた。この取引は、クライン・セラーズの生産量が拡大して、栽培するブドウを全量自分達で使うようになるまで続いたんだ」
――コントラ・コスタの古木の畑での、収量はエーカーあたりどれぐらいなのでしょう?伺ってよいならば、平均的な買い取り価格を教えてください。また、同じ畑でたとえばカベルネを植えたとき、どれぐらいの値段で売れるのでしょう?
「たとえば、あるカリニャンの畑があるのだけれど、買い取り価格はトンあたり600ドル。古木にしては安いように思うかもしれないが、栽培管理をしているのが地主ではなく私たちなので、妥当な値段だと思う。灌漑なしで育てているけれど、平均収量でエーカーあたり4.5トンは取れる。ジンファンデルで言うと、コントラ・コスタ郡のものは非常に高く評価されていて、樹齢が高いほど値段も高くなるのだけれど、最高でトンあたり2,500ドル。これはソノマ郡にも匹敵する価格だ。収量は3.5~4トンぐらいで、これが若木なら6トン以上取れるけれど、偉大なワインにはならない。悪いワインではないがね。マタロもそこそこ値段が高いのだけれど、買い手が少ないのが難点だ。
カベルネについては、コントラ・コスタ郡にはほとんど植わっていない。ナパ、ソノマがカベルネでは幅をきかせていて、需要がなく売れないんだ。値段もトンあたり650~700ドルといった程度。最近投機目的でカベルネが植えられた例はあるが、基本的にジンファンデル、カリニャン、マタロで評判をとっている土地なので、おそらくうまくいかないだろう」
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余談になりますが、マット・クライン氏は、日本のワイナリー、ココ・ファーム(栃木県)と非常に深いつながりがあります。ココ・ファームは、1980年代末にクライン・セラーズの近隣の畑を15年契約で借り始め、その縁で若き日のマット・クライン氏は1988年に1ヶ月、ココ・ファームに滞在したのです。そのままコンサルタントとして常駐するように頼まれたのですが、それは事情が許さないと辞退し、代わりにと紹介したのがUCデイヴィスでともに学んだ友人のブルース・ガットラヴ氏でした。1989年、ココ・ファームにやってきたガットラヴ氏も、当初はさほどの長期滞在を想定してはいなかったのですが、1999年には取締役に就任、30年にわたってココ・ファームで働くことになります。ココ・ファームでのワイン造りを通じ、日本ワインの品質向上に大きく貢献しているガットラヴ氏は、2009年に北海道に移り住んで10Rワイナリーを興しました。現在ココ・ファームの自家製ワインはすべて国産ブドウ100%の日本ワインですが、カリフォルニアワインをフレンズ・オブ・ココのシリーズとしてボトルで輸入しています。その醸造はカリフォルニアでマット・クライン氏が請け負っているのです。
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立花峰夫:
ワイン専門翻訳サービス タチバナ・ペール・エ・フィス代表。
ワインライターとして専門誌に寄稿も行う。訳書・監修書多数。
(タチバナ・ペール・エ・フィス: http://www.tpf.kyoto.jp)
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