「ジャケ買い」という言葉があります。ウィキペディアによれば、「レコード、CD、DVD、本などのメディア商品を内容を全く知らない状態で、店頭などで見かけたパッケージデザインから好印象を受けたということを動機として購入すること」とのこと。ワインはメディア商品ではありませんが、知識・経験が少ない飲み手ほどジャケ買いをする傾向が明らかに見られます。とある調査によれば、アメリカのワイン消費者がショップでワインを選ぶ際には、品種→価格帯の順でお目当ての品を絞り込んでいくそうです。ただ、たとえば「メルロで15ドルぐらい」というところまで絞ったあと、複数の銘柄が棚に並んでいた場合、どうするのでしょうか。産地や生産者の優劣についての知識がない飲み手の場合、気に入ったラベルが貼られたボトルに手が伸びるのはごく自然なことではないでしょうか。若い消費者ほど、ワインラベルのデザインが購買動機に占める割合が大きいともよく言われます。オジさんのワタシはまったく気にしませんが、「SNS映えするラベル」というのも、若い世代にとっては大切なんでしょうね。
紙のワインラベルが普及したのは、ガラス瓶にしっかり接着できる糊が実用化された1860年頃のことだとされています。それから150年余りで、ワインラベルのデザインは、マーケティング上慎重な考慮が欠かせない重要な要素になりました。少量生産の高級ワイン、特に欧州伝統国のそれはほとんどラベル・デザインを変更しませんが、大手ワイナリーが量産するブランドについては、3~5年に一度は表ラベルを中心としたパッケージ変更をするのが普通です。複数のデザイン事務所に競わせながら、数千万円の予算を投じてプロジェクトを進めるそうで、裏を返せばそれだけ売上に対してインパクトをもっているということなのでしょう。その際、必須なのは「価格帯に合致したデザインにする」ことでして、高いワインに安っぽいラベル(例:ポップな動物のイラストがでかでかと描いてあるもの)がついていても、安いワインに高級そうなラベル(例:なにやら仰々しい貴族の紋章と、判読不能に近い筆記体の文字で構成されたもの)がついていても、うまくいかないそうです。前者の場合は単純に買う気がおきませんし、後者の場合は高級ワインの味わいを期待して買ったはいいものの、貧弱な味わいにがっかりしてリピートしないという結果になります。
大手ワイナリーがラベル・デザインにひたむきな努力を重ねている一方で、「もしかすると、何も考えていないのではないか?」と思わずにはいられない、零点のラベルというのも小規模ワイナリーの銘柄には散見されます。「ウチの姪は絵が上手くてね。描いてもらったんだよ。どうだ、いいだろ?」みたいな無邪気なものもあれば、「ひいひいひいひいじいちゃんの頃からウチはこのラベルなんだよ。現代的じゃあないかもしれないけれど、しょうがないだろ?」みたいな伝統がんじがらめのケースもあります。ただ、商業デザインについては国ごとに結構価値観の違いがあるそうでして、日本人のワタシが零点だと感じるラベルでも、たとえばスペイン人にとっては最高にイカすぜ!ということもあります。なので、マーケティング意識の高い輸入業者さんは、その国用のワインラベルを自前でデザインして、それを貼ってもらったりすることがあるのです。
さて、もう10年以上前でしょうか、イギリスのワイン専門誌『デカンター』に、ちょっと面白い記事が載っていました。ワインのことをなーんにも知らないグラフィック・デザイナーに、シャトー・マルゴーだのリッジ・モンテベロだの高級ワインのラベルを見せて、そのラベルから喚起されるイメージを言葉にしてもらった、というものです。今、手元に雑誌の現物がないので引用ができないのですが、どのワインについても驚くほど中身の味わいと、デザイナーの紡いだ言葉が一致していました。普通に考えると、「醸造家または蔵の所有者が、ワインの味わいに合ったイメージのラベルにした」ということになるのですが、この記事で取り上げられていたワインのラベルがデザインされたのは、50年前だったり100年前だったりします。つまり、高度消費社会におけるマーケティングなんていう概念がまったくなかった時代です。おそらく真実は逆のベクトルを向いていて、ワタシたちはワインラベルから受けとる印象を通して、中身の味わいを「解釈」しているのでしょう。ブラインド・テイスティイングで試飲したワインが、しばしば「ぜんぜんらしくない味わい」に感じられるのは、そんなところにも一因がありそうです。
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立花峰夫:
ワイン専門翻訳サービス タチバナ・ペール・エ・フィス代表。
ワインライターとして専門誌に寄稿も行う。訳書・監修書多数。
(タチバナ・ペール・エ・フィス: http://www.tpf.kyoto.jp)
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