~カリフォルニアPN スタイルの変遷を考える~
8月末、布袋ワインズが昨年から輸入を始めた古くて新しいワイナリー、ギャリー・ファレルの支配人、ナンシー・ベイリーが来日してプロモーションを行いました。筆者は通訳兼セミナーのモデレーターとして2日間、彼女と過ごしたのですが、いろいろと考えさせられることがあったのです。そんなワケで、今回と次回のコラムでは、ギャリー・ファレルを通じてカリフォルニア産ピノ・ノワールのスタイルについてと、ロシアン・リヴァー・ヴァレーのテロワールについて書かせていただきたいと思います。
ギャリー・ファレルは、同名の醸造家によって、1985年に設立されたワイナリーです(初ヴィンテージは1982)。ソノマ郡ロシアン・リヴァー・ヴァレーの蒼々たる栽培家たち(ロッキオーリなど)からブドウを買い、畑名を冠したピノ・ノワールを仕込んで名をあげました。1990年代以降は日本にも少量ながら輸入され、「知る人ぞ知るカリフォルニア産のカルト・ピノ」として、大人気のワイナリーでしたが、お若い方はご存じないかもしれませんね。しかし、ギャリー・ファレル氏がワイナリーを売却した2004年以降、日本を含む海外市場への輸出はすべて止まってしまいました。よくあることなのですが、アメリカの少量生産・大人気ワイナリーにとって、「輸出なんて面倒なだけ。儲かるワケでもないし。国内で全部売れるのに、なんでわざわざ外国に売る必要がある?」と、新しいオーナーたち(何度か変わりました)は皆考えたのです。2011年から今日に至るまでオーナーとしてこの蔵を保有するビル・プライス(キスラーの共同経営者で、スリー・スティックス、ルトゥムの両ワイナリーも所有するほか、デュレル・ヴィンヤードなどの高名な畑も保有)を、現支配人のナンシー・ベイリーが説得し、海外への輸出を再開したのが昨年のことでした。アメリカ国内だけで売り切れる状況は変わっていないのですが、「国際的な認知を得ることが、やはり長期では重要」とナンシーは考えて、ひとまず日本とカナダへの輸出が再開されています。
さて昨年、布袋ワインズのオーナーでソノマ在住のミスター・ビル・キャンベルから「ギャリー・ファレルを輸入しないか?」と相談された同社の川上康二社長は、即座にこう言ったそうです。「アホか。あんな古臭い、どろソースみたいなピノ・ノワール、今さら売れるかい。却下じゃ、却下」。しかしながら、「まぁとにかく、一度一緒にワイナリーに行こう。それから決めればいいから」とビルに言われ、渋々ついていった川上社長は驚きます。「なんやワレ、旨いやんけー。エレガントやんけー」と、河内のオッサン丸出しで叫びました。こうして、新オーナーと新醸造家のもと、どろソースから優雅な淑女に生まれ変わったギャリー・ファレルが、再度日本市場にお目見えすることになったのですが、8月末の試飲会でも大好評、値付けが相対的にリーズナブルなこともあって、今後爆発しそうな予感アリアリであります。
●参考URL どろソースについて
https://ja.wikipedia.org/wiki/どろソース
●参考URL 河内のオッサンについて
https://www.youtube.com/watch?v=1_w7qLwhFog
ワタシ自身も、今回20年ぶりぐらいにギャリー・ファレルを飲んだのですが、確かに大変にエレガントでバランスのとれたワインです。2016年に解散したエレガント・ピノ&シャルドネの推進団体IPOB(In Pursuit of Balance)系の味わいと言ってよく(ナンシー自身もそう話しています。ただし、IPOBには非加盟でした)、とてもイマドキな感じです。ただ、20年前とそんなに変わったかどうかというと、ワタシには実はハテナでありまして、というのも昔の味を忘れてしまったから。世紀の変わり目あたりに1、2度飲んではいるのですが、アルコール性健忘で昨晩のゴハンすら思い出せない筆者が、20年前のワインの味を覚えているはずがありません。そんなわけで、川上社長の「どろソースから淑女へ変貌したシンデレラ」説について、曖昧に「そうですね」と頷いてはいたものの、内心では「アタシわかんなーい。だって覚えてないんだもーん」と思っていました。
しょうがないので、筆者の大切な外付けHDDである書物をいくつか紐解いてみます。まずは、1999年に出版された『The Wines of California』から。著者は、いぶし銀的なイギリス人ライターのスティーヴン・ブルックで、ギャリー・ファレルについてはこう述べられています。「ピノはエレガントだが、それでいて果実味や魅力に欠けるわけではない。とはいえ、押しが強く人目を引くというよりは、控えめなワインたちであり、だからこそ私はこの蔵のピノが好きなのである」。およよ、薄味好きイギリス人のブルックがこう書いているということは、どろソースではなかったの? ただ、カリフォルニアワイン全体が、「果実味ドーン!アルコールばーん!」の方向へと一気に向かったのは、1997年ヴィンテージ以降なので、ブルックが上記のように書いたあと、スタイルが変わった可能性もあります。
それで、もう一冊、2004年に上梓された大著『North American PINOT NOIR』(著者:ジョン・ウィンスロップ・へーガー)も見てみました。こう書かれています。「彼(ギャリー・ファレル)のピノはとりわけ、品質の安定度、フィネス、複雑性において大いなる賞賛を受けており、とあるライターの言葉を借りるなら『育てられたエレガンス』を有している。興味深く、また心強くもあるのだが、この賞賛はファレルが、一部の批評家たちが好んでいるであろう、ブドウの過熟と過度の抽出を避ける主義の持ち主であることからきているのだ。筆者の経験では、ギャリー・ファレルのピノは、ミディアムボディのワインで、中程度から濃いめの黒みがかかった赤色をしていて、素晴らしい透明感、概して柔らかいタンニンと、純粋で印象的なエレガンスを備える」。この本の著者は、「1996年以前のヴィンテージは試飲していない」と書いているので、ギャリー・ファレルのワインが1997年以降、売却される2004年までも、一貫したスタイルを持っていたことが窺えます。
さて、そうなると、川上社長による「昔はどろソース」説は間違っているのでしょうか。彼もワタシと同じくアルコール性健忘であることはほぼ確実なので、どこぞの別のどろソースと記憶違いをしている可能性も否定はできません。真実は今のところ藪の中ではあるのですが、筆者の仮説は次のようなものです。「20年ほど前、カリフォルニアのピノ・ノワールの中では、ギャリー・ファレルはエレガントさで光る存在だった。しかしながら、それでもブルゴーニュとつい比べてしまう日本人の飲み手(ブルゴーニュばかり飲んでいた当時の川上社長もそのひとり)の味覚にとっては、まだまだ濃かった」。というのも、現在のオーナーのもと、現在の醸造責任者(テレサ・ヘレディア)に変わった2012年以降、ギャリー・ファレルは以前にも増して、意識的にエレガントな方向へと醸造を変えてきたからです。支配人のナンシーによれば、それは一年ごとに少しずつ、一貫性を保ちながらの緩やかな変化で、いきなりガラリと変わったわけではないそうですが。具体的には、以前より若干低めの糖度(22~23度)で摘むようになったこと(アルコールは年によりますが、概ね14%未満です)、樽のトーストをミディアムからライトに変えたことなどがあげられます。今のオーナーはとても資金力があって、かつ現場の意思を尊重する人だそうで、より洗練されたワインを造るための設備投資も、ワイナリーの規模を考えると過剰に思われるほど行ってきました。なお、醸造責任者のテレサ・ヘレディアは、低アルコールの繊細なワインで知られる、ブルゴーニュのドメーヌ・ド・モンティーユで修行した人物。そのこだまを、彼女が仕込むワインからは聞き取ることができるように思います。それでいて、カリフォルニアらしさ、太陽の恵みを感じられる面もあり、この20年でカリフォルニアのピノがいかに洗練されてきたかを、ギャリー・ファレルのワインからワタシは学びました。
なお、支配人ナンシーの来日中に伺った赤坂あじる亭さんでは、昔からギャリー・ファレルの大ファンであるソムリエの小巻様が秘蔵されていた、1998年のピノを開けていただきました。例外的に冷涼なヴィンテージだったこともあってか、大変に美しく熟成した繊細なワインでしたが、今のギャリー・ファレルがもつ洗練味と比べると、少し粗っぽいところ、カドがあるように感じられたのも事実。今回、健忘症のワタシは新生ギャリー・ファレルのワインについてしっかりテイスティング・ノートを取ったので、20年後にまた最新ヴィンテージのワインと比べ、20年の熟成を経た現在のヴィンテージのワインも一緒に飲んでみたいと考えています。さて、ワインはともかく、ワタシは生きているかしらん。
●参考URL ギャリー・ファレルについて
http://www.hoteiwines.jp/winery/winery_detail.cfm?dmnID=81
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立花峰夫:
ワイン専門翻訳サービス タチバナ・ペール・エ・フィス代表。
ワインライターとして専門誌に寄稿も行う。訳書・監修書多数。
(タチバナ・ペール・エ・フィス: http://www.tpf.kyoto.jp)
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