高校生のとき、一学年下に「めるろ」くんという男子がいました。当時はいわゆる「珍しい名前の子」という扱いでしたが、今ならかなりアリだよなあと思います。「めるろ」、柔らかくいい響きです。ただし、彼の場合、その名の由来はブドウ品種のメルロ Merlotではなく、フランスの実存主義哲学者モーリス・メルロ=ポンティ Maurice Merleau-Pontyなのですが。
ブドウ品種としてのメルロは、1990年代のアメリカで大人気を博しました。アメリカの有名なテレビ番組、シクスティ・ミニッツがフレンチ・パラドックスについて取り上げたのがそのきっかけ。アメリカの赤ワイン消費量が激増し、これまで赤ワインなど口にしたことのない人々が、スーパーのワイン売り場に殺到したのです。こうしたワイン初心者たちに最もフレンドリーだったのが、メルロの安価なワインでした。名前が発音しやすく、酸も渋味もマイルドで、果実味にあふれる柔らかな味わい。黒ブドウの王者カベルネ・ソーヴィニョンは、こうしたビギナーたちにとって、発音はしにくいし(まあ、「キャブ」と略せばそうではないのですが)、味の面でも「痛い=渋くて酸っぱい」品種だったのですね。1990年代から2000年代前半にかけて、カリフォルニア州におけるメルロの栽培面積はどんどん拡大し、カベルネ・ソーヴィニョンに次ぐ第2位の黒ブドウ品種となりました。
しかしながら、おごる平家は久しからず、盛者必衰の理があらわれまして、2004年を境にカリフォルニアにおけるメルロの凋落が始まります。きっかけとなったのは、日本でも後にリメイク版がつくられた傑作ワイン・ロードムービー『サイドウェイズ』の公開でした。この映画の主人公、ワインオタクの国語教師マイルスは、ピノ・ノワールへの偏愛と情熱を熱く語りつつ、メルロについてメタメタに貶したのです。「誰かがメルロを注文しやがったら、俺は出ていく。断固として、クソみたいなメルロなんぞ飲まんぞ!」という台詞がバズりました。この映画だけが原因ではないでしょうが、確かに『サイドウェイズ』が公開されたタイミングで潮目が変わり、カリフォルニアにおけるピノ・ノワールのブームと、メルロの苦難の時が始まっています。
では、このあたりでカリフォルニア州における主要黒ブドウ品種4つの、過去5年の栽培面積順位の変遷を見てみましょう(出典は、米国農務省が毎年発表する「California - Grape Acreage Reports」)。品種名のすぐあとの数字が最新の2018年の栽培面積、そのあとのカッコ内の数字が2013年の栽培面積です。単位はエーカー(約0.4ヘクタール)。
●カベルネ・ソーヴィニョン 93,241(87,972)
●メルロ 38,587(44,460)
●ピノ・ノワール 46,832(42,812)
●ジンファンデル 41,894(47,827)
メルロとジンファンデルが減り、カベルネとピノが増えている傾向がはっきりと見てとれます。なお、『サイドウェイズ』が公開され、メルロが絶頂期にあった2004年の栽培面積は以下の数値でした。
●カベルネ・ソーヴィニョン 74,863
●メルロ 53,535
●ピノ・ノワール 24,055
●ジンファンデル 50,788
この15年、カリフォルニアにおけるメルロの栽培面積は減り続けているのですが、実は3年ほど前から、アメリカでのこのブドウの人気は復活しはじめています。品種そのものが不人気になることで、1990年代のブームで大量に増えた「安かろう悪かろう」のワイン、すなわち、不適切な土地に植えられ、不適切な栽培法・醸造法で造られた粗悪品が淘汰され、よいものだけが残った、あるいは新たに生まれたせいだという説を唱えているのは、アメリカ人ライターのエリン・マッコイやケリ・ホワイトなど。爆発的人気→粗悪品乱造→人気凋落→淘汰→良品の人気復活、というのはワインの歴史あるあるでして、たとえばドイツの白ワインについて1970年代から現在にかけて起きたことだといえば、ご納得いただけるでしょうか。
昨年末、英国に本社を置く国際的なインターネットベースの市場調査およびデータ分析会社YouGovが、アメリカのワイン消費者約1,200人に行ったアンケート調査では、メルロが僅差でカベルネ・ソーヴィニョンを上回り、最も好きな品種としてトップをさらっています(メルロ→カベルネ・ソーヴィニョン→ピノ・ノワール→ジンファンデルの順)。このメルロ人気は、実は3年前の2016年時点でも顕在化しており、アメリカの調査会社Wine Intelligenceのリサーチにおいても、全世代を通じた人気No.1品種に輝いているのです。
おそらくですが、今後カリフォルニアにおけるメルロの栽培面積は増加に転じるでしょうし、また乱造→淘汰という歴史が繰り返されるのかもしれませんが、その繰り返すプロセスの中で、世界に誇れるカリフォルニア産メルロが多数登場してくれるといいなと考えております。メルロは、メジャー品種の割に、「ワールド・クラス」と呼ぶに相応しい銘醸を、安定的に一定量生む産地が意外なほど少なく、原産地ボルドー右岸以外だと、イタリアのトスカーナぐらいな感じですから。カリフォルニアは、高級レンジに限るとこの品種名を冠したヴァラエタル・ワインの存在感がかなり小さいのです。
このコラムを書いていて初めて気づいたのですが、ワタシはフランスの黒ブドウの中で、メルロという品種名が一番美しいなと感じています(個人の感想ですよ、あくまで)。風味だとピノ・ノワールが一番のお気に入りなのですが、名前ならメルロだよなあと。この品種名は、ボルドー地方に見られる野鳥、「merle =クロウタドリ」(ツグミの一種)から付いたと考えられています。クロウタドリの体の色が、メルロの色に似ていたから、また収穫期が来るとこの小鳥がメルロの果実を好んでついばむからだそうです。こうした由来も、ロマンティックかつ詩的ですよね。
カリフォルニアは多様なテロワールをもつ産地ですから、温暖な産地でも冷涼な産地でも、それぞれの良さを備えたメルロを生産できる可能性がありますが、個人的には小鳥の鳴き声のようにデリケートで、チャーミングな魅力に溢れたメルロが増えてほしいなと考えています。
<参考サイト>
https://www.bloomberg.com/…/the-sideways-curse-has-lifted-m…
https://www.thedrinksbusiness.com/…/the-most-popular-style…/
https://www.guildsomm.com/…/kelli-w…/posts/california-merlot
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立花峰夫:
ワイン専門翻訳サービス タチバナ・ペール・エ・フィス代表。
ワインライターとして専門誌に寄稿も行う。訳書・監修書多数。
(タチバナ・ペール・エ・フィス: http://www.tpf.kyoto.jp)
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