●はじめに
布袋ワインズが取り扱っているワイン生産者の中で、ワタシが個人的に超ラブなもののひとつがラジエ・メレディスです。生産量が少ないこともあって、日本での知名度はさほど高くないのですが、そのジンファンデル(=トリビドラグ→このコラムの後編で、この名前の由来を説明します)や、シラーなどは実にクラシックな味わいで、「うま~い」なのです。「なにその造り手?しらんわ」という人は、ぜひ一度お試しいただきたいなあと思います。決して後悔させませんよん。
http://www.hoteiwines.com/winery/winery_detail.cfm?dmnID=636
さて、このワイナリーは、元ロバート・モンダヴィの醸造家のダンナさんと、元UCデイヴィスの研究者の奥さんが、ナパはマウント・ヴィーダーの山奥でひっそりやっているものです。ここの奥さん、キャロル・メレディス博士が、知る人ぞ知るスーパースターでして、デイヴィスの教授だった1990年代末から2000年代初めにかけて、当時新しい技術として生まれ出てきた遺伝子のDNA鑑定を用い、一群の重要ブドウ品種の起源を次々に明らかにしたのです。人は彼女のことを、「ブドウ探偵/Grapevine Detective」と呼び、驚異の念をもって絶賛しました。
カベルネ・ソーヴィニョン、シャルドネ、アリゴテ、ガメイ、シラー、ペティト・シラー……そしてカリフォルニアにおける最大の謎であったジンファンデルの起源をも、彼女はわずか数年の間に探り当ててしまいました。中でも、ジンファンデルのルーツを尋ねる「旅」は、ドキドキ・ハラハラ、手に汗握る物語でありまして、当時「ジン・クエスト」と呼ばれたものです。今を去ること15年前、メレディス博士を訪ねて、彼女の口から直接その話を聞かせてもらったときの興奮は、いまだに忘れられません。
「ジンファンデル? ああ、なんかアメリカの黒ブドウだよね。イタリアから来たんだっけ?」という方は、前・後編に分けてお届けする今回のコラムを、ぜひお読みくださいまし。読み終わる頃には、ジンファンデルと、メレディス博士のワインが大好きになっていること請け合いであります。乞うご期待!!
●謎に包まれたブドウ
皆さんご存じかとは思いますが、ジンファンデルというのは、果実味あふれる赤ワインや、チャーミングな甘口ロゼの原料となる、カリフォルニアのシンボルとも言える黒ブドウ品種です。カリフォルニアには1850年代、ゴールド・ラッシュの時代に、アメリカ東海岸からシカゴを経由して持ち込まれました。このジンファンデルが、純粋なヴィティス・ヴィニフェラ=ヨーロッパ起源であることは、古くから知られていたのですが、ヨーロッパには同名の品種が存在しておりません。よって、元々はどの国のどの品種だったのか、そして誰がいつアメリカ東海岸にこの品種を持ち込んだのかについては、長らく謎のままだったのです。
後者のほうの謎については、アメリカの歴史家チャールズ・サリヴァンの説が、今では「定説」になっていまして、1820年代前半に、ニューヨーク州ロング・アイランドの苗木商であったジョージ・ギブスという人物が、オーストリアの王立ブドウ・コレクションから輸入したとするものです。ソノマの歴史あるワイナリー、ブエナ・ヴィスタの創設者であるアゴストン・ハラスティーが、1860年代にアメリカに持ち込んだという説も未だに一部では流通しているようですが、サリヴァンは、ハラスティー説はその息子が捏造した根拠のないものだと退けています。
もうひとつの謎、ミステリーの核心となっている「ルーツのヨーロッパ品種」が、最終的に明らかになったのは、2001年の12月のことでした。クロアチアの海岸沿いで栽培される稀少品種、「ツールイェナック・カステランスキー=プリビドラグ=トリビドラグ」がその正体だったのであります。しかし、この発見に至るまでのプロセスには、多くの人々が関与し、さまざまな紆余曲折と混乱に満ちた長い道のりがありました。
さて、ヨーロッパで見つかった最初の「正体候補」は、クロアチアではなくイタリア南部プーリア州のブドウ品種、プリミティーヴォでした。日本でも、世紀の変わり目までは、「ジンファンデルのルーツはプリミティーヴォ」だと、皆が言っていたのを覚えておいでの方もいらっしゃるでしょう。メレディス博士は、当時までの状況・経緯を次のように説明してくれています。
「1970年代から、『ジンファンデルはイタリアのプリミティーヴォと、外観も味も同じだ』と言われるようになっていました。UCデイヴィスにも何本かプリミティーヴォが輸入され、ジンファンデルの横に植えて比較が行われていたものです。たしかに、プリミティーヴォとジンファンデルはそっくり同じに見えましたが、1970年代には、分子レベルでその同一性を、確認する手段がまだありませんでした。ただ、生化学的な方法で確認を試みることはできたので、学生の一人が酵素を使った手法で、両品種が同じだと証明したのです」
プリミティーヴォとジンファンデルの類似性に最初に気付き、UCデイヴィスに初めてプリミティーヴォを持ち込んだのは、同大学の高名なブドウ病理学者、オースティン・ゴヒーン教授でした。証明を行った学生とは、当時デイヴィスの博士課程に在籍していたウェイド・ウルフという人で、1976年に結果を発表しています。この証明はまだ、科学的に確実なものとは見なされなかったのですが、これ以降「ジンファンデルは、イタリアからアメリカにやってきた」という推定が、ある種の定説として流通するようになったのでした。
しかし、アメリカのワイン製造・流通を管轄するBATF(現在のTTB)は、1985年に通告を出しまして、イタリア産のプリミティーヴォを「ジンファンデル」として販売することを禁じています。その根拠は、2品種の同一性が厳密には証明されていないこと、EUで「ジンファンデル」の名がプリミティーヴォの別名として認定されていないことの2点でした。
1990年代に入ると、メレディス博士がDNA鑑定技術によってブドウの同一性を確認する手法を開発し、1976年の証明を追認しています。この際の証明は、「2品種が同一でない可能性は数百万分の一程度」という、極めて信頼性の高いものだったそうです。この結果を受けて、現在ではEUでもアメリカでも、「ジンファンデル」、「プリミティーヴォ」をそれぞれ地元の品種の別名として、ラベルに表記することが可能となっています。イタリアのプーリア州のワインでも、ラベルに「ZINFANDEL」と、デカデカと書かれているワインが時々ありますが、アメリカ市場への輸出を強く意識しているのでしょうね。
しかしながら、ジンファンデルの起源論争自体には、実はまだ決着がついていませんでした。というのも、イタリアでは長きにわたって、「プリミティーヴォはイタリアの土着品種ではなく、外来品種だ」と知られていたからなのです。先に触れた歴史家のチャールズ・サリヴァンは、イタリアにおいて、1860年代以前にプリミティーヴォが栽培されていたという文献上の証拠は見つかっていないと記しています(その後、彼の地ではこのブドウが17世紀から栽培されていたことが分かったのですが、1990年代末の時点ではそれはまだ明らかになっていませんでした)。ではプリミティーヴォは、もともとどこからイタリアにやって来たのでしょうか。メレディス博士は、イタリアとアドリア海を挟んだ至近距離に位置する、クロアチアという国に目を向けていました。
●プリミティーヴォからプラヴァッツ・マリへ
メレディス博士の語りは続きます。「クロアチアにはプラヴァッツ・マリという品種がありまして、それがジンファンデルと似通った外観をしているということも、以前から知られていました。カリフォルニアでもマイク・ガーギッチ(ナパのワイナリー、ガーギッチ・ヒルズのオーナー醸造家で、クロアチア出身)ほか一部の人々は、『プラヴァッツ・マリこそがジンファンデルだ』と断定までしていましたし、クロアチアでも同じ考えを持っている人は少なくありませんでした。
それで私も、クロアチアのブドウ品種に関心を持ち始めまして、最初はとりあえずプラヴァッツ・マリのサンプルを、UCデイヴィスへと取り寄せたのです。実はそのときまでにも過去に二度、UCデイヴィスにはプラヴァッツ・マリが輸入されていて、樹も存在していたのですが、両方ジンファンデルではないことが分かっていました。しかし私は、『間違った穂木が輸入されたのではないか』と考えたのです。よくあることですからね。それで新たにサンプルを取り寄せたのですが、それはデイヴィスに前からあった樹と同じもので、やはりジンファンデルではありませんでした」
プラヴァッツ・マリとは、現在クロアチアで最も重要な黒ブドウでして、ジンファンデルと似通ったスタイルのワインとなる品種です。博士の言う通り、ジンファンデル=プラヴァッツ・マリ説は、1990年代の後半にプリミティーヴォ説と並行して唱えられておりました。アメリカのワイン雑誌である『ワイン・エンスージアスト』は1996年に、「ジンファンデルのミステリー、解明さる!」というタイトルの記事で、プラヴァッツ・マリがジンファンデルの起源であると大々的に書き立てています。メレディス博士自身も、この仮説をなかなか捨てることができなかったと言います。
「もしかするとプラヴァッツ・マリには、いくつかのサブタイプが存在していて、それが一致していないだけではないかとも考えたのです。クロアチアに実際足を運んでみないことには、研究が前に進みそうもないなとも感じていました。ただ、現地とコミュニケーションを取るのが非常に難しかったのです。そこでクロアチア人のマイク・ガーギッチに相談したところ、喜んで協力すると言ってくれましてね。そしてそのあとに起こったことは、予期せぬ幸運以外の何ものでもないものでした。
1997年の12月だったと思いますが、一通のEメールを受け取ったのです。『拝啓 私はイヴァン・ペイェッチと申しまして、クロアチアのザグレブ大学で、植物遺伝学を研究している者です。現在私たちは、クロアチアの土着品種を研究するプロジェクトを立ち上げようとしています。貴重な品種が失われるまえに、その特徴を明らかにしておきたいのです。その研究にあたってはDNA鑑定技術を活用したいと考えているのですが、当方には経験がございません。メレディス博士にご協力願えませんでしょうか?』
私は大喜びで返事をしましたよ! 『おやおや、ちょうど私も、クロアチアのブドウ品種に興味をもっていたところだったのです。実際、クロアチアに行こうとも考えていたところです。私も同じことを研究したいのですから、喜んでお助けしますとも!』。研究の動機は違っていましたが、やることは一緒です。イヴァンも私も同じ種類の情報を必要としていました。これが12月のことで、その後私たちはマイク・ガーギッチも巻き込んで密に連絡を取り合い、計画を立てていきました」
1998年の3月にメレディス博士はクロアチアへと渡り、ペイェッチと、同じ大学の同僚であるエディ・マレッチとともに、プラヴァッツ・マリだけに絞って150のサンプルを集めました。ところが、UCデイヴィスの研究室における分析結果は、ごくわずかな例外を除きすべてが同一だというもので、デイヴィスに元々あったものと、同じ品種だとわかっただけだったのです。
「結局、プラヴァッツ・マリは遺伝的に相当均一な品種で、ジンファンデルと同一種ではないという結論に至らざるをえませんでした。しかし、そこで同時に分かったのが、プラヴァッツ・マリはジンファンデルの親か、あるいは子にあたる品種だということです。異なる品種の同一性を判断する際に指標となる、DNAマーカーの半分が同じでしたから。こちらのほうの結果には、かなり勇気づけられました。『ジンファンデルが、クロアチアからやってきた』ということは、確かだろうと思われたからです」
(後編に続く)
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立花峰夫:
ワイン専門翻訳サービス タチバナ・ペール・エ・フィス代表。
ワインライターとして専門誌に寄稿も行う。訳書・監修書多数。
(タチバナ・ペール・エ・フィス: http://www.tpf.kyoto.jp)
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