立花峰夫のワインコラム Vol.71
2020.4.1
"ブドウ探偵キャロル・メレディスとジン・クエスト"(後編)
現在、ナパはマウント・ヴィーダーの山中で、ラジエ・メレディスなるワイナリー名のもと、ご亭主とひっそり素敵なワインを造っているキャロル・メレディス博士。その大先生が、UCデイヴィスでブドウ遺伝学の研究をしていた現役時代の最後を飾った、ジンファンデルの起源をめぐる大発見の物語、前編からの続きです。前を読んでいただいてないと、この続きを読んでもなんのことやらさっぱりわかりません。なので、「え、それ見てないけど」という方は、お手数ですが布袋ワインズの公式Facebookページに飛んでいただいて、前編の投稿を先にご覧いただければ幸いです。
世間は、日本もカリフォルニアもヨーロッパも、コロナ騒ぎで大変なときですが、まあ息抜き的にお読みいただければと。なお、新型コロナのせいで、カリフォルニアがロックダウンされた直後、Facebookに投稿されたラジエ・メレディス・ヴィンヤードの次のコメントが印象的でした。「社会から隔離されたといって、わたしたちは狂乱状態になることはありません。慣れていますから。一番近くの隣人と、1マイル(1.6km)も離れているのです」
さて、後編のはじまりはじまりです。
●ジグゾーパズルの最後の1ピース
メレディス博士は以降、プラヴァッツ・マリ以外のクロアチアの土着品種を対象として、探査を続けていきました。クロアチアのふたりの研究者、ペイェッチとマレッチにとっては、それが当初からの目的でもありましたから、二人は同国の重要なワイン産地である海岸沿いのエリアと島々を旅し、ブドウ畑を訪れては数多くの品種のサンプル採取を続けていきます。名前がある品種もあれば、そうでないものもありましたけれど、とにかくすべてがUCデイヴィスに送られて、分析されました。犯罪事件の捜査を思わせる、ひたすらに足を使った地道な調査が、延々と続いたのです。
その頃メレディス博士は、UCデイヴィスのブドウ品種データベースの中に、これまで調査してきたプラヴァッツ・マリのほかに、同じ名のついた品種がもうひとつ登録されていることに気付きます。そのもうひとつのプラヴァッツ・マリは、フランスのモンペリエから移管されたデータに含まれていました。不審に思った博士が調べたところ、それは本物のプラヴァッツ・マリではなく、博士がクロアチアから持ち帰った約150のサンプル(ほぼすべて同一種)のどれとも、一致しなかったのです。
この偽「プラヴァッツ・マリ」は、暫定的にF106という番号で呼ばれるようになります。F106は、約50年前にクロアチアの研究者がフランスの品種保管所に持ち込んだものだと分かっていましたので、クロアチアの品種であることは間違いなかったのですが、どこかで誤った名前が付けられたようなのです。
メレディス博士とクロアチアの研究者たちは、このF106についてもジンファンデルと一緒にクロアチアの地で探し求めたところ、まずはこちらの正体が明らかになりました。F106は、クロアチアでドブリチェッチと呼ばれる稀少な品種だったのです。そしてこのドブリチェッチとジンファンデルが、プラヴァッツ・マリの両親だということも、分析の結果明らかになりました。この発見からは、ジンファルデルが長いあいだクロアチアで栽培されていたことが推察されるので、ジンファンデルがクロアチアの品種だという仮説が更に強められた形です。
また、メレディス博士らは、並行してクロアチアの他品種の分析をも進めておりまして、その結果、ドブリチェッチとプラヴァッツ・マリ以外にも、ジンファンデルと何らかの関係を持つ品種が多数見つかりました。うち、6〜7種はかなりジンファンデルと近い品種だったので、ジンファンデルがクロアチアから来たことはもう確実でした。
「しかし、最後の最後まで、ジンファンデルがクロアチアのどの品種なのか、ということだけがわからないままでした。ジグゾーバズルの最後の1ピースだけが欠けているような状況ですね。しかしイヴァンとエディは執念深く探し続け、とうとう最後の1ピースに辿り着いたのです。
樹が見つかったのは、沢山の品種が混植されている古いブドウ畑でした。昔のヨーロッパのブドウ畑では、様々な品種をごた混ぜに植えるのが一般でしたから。優秀なブドウ分類学者であるエディは、その畑の中でジンファンデルによく似た一本の樹に気付きました。もちろん、『ジンファンデルを見つけた』と彼が言ってきたのはそれが初めてだったわけではなく、『博士、見つけました。今度こそ間違いありません』と言ってきてダメだったことが、何度となくそれ以前にありました(笑)。しかし、この時、2001年12月の発見は、本当に間違いなかったのです。とうとうジンファンデルと同じ樹が、クロアチアで見つかったのです!!
その畑には、5,000本ほどのブドウが植わっていたのですが、そのうちのたった10本だけがジンファンデルと同じ品種で、『ツールイェナック・カステランスキー』という名前が付けられていました。これは、まったくどうということのない、ごくありふれた名前でして、ツールイェナックとは単に『赤』という意味、カステランスキーとは『カステラ』という畑があったその町の名前を示すものです」
クロアチアの二人は、周辺もくまなく調査したのですが、他の畑ではジンファンデルは見つかりませんでした。発見があったブドウ畑でも、ほどなく全面的な植え替えが予定されていたそうで、あと1〜2年訪れるのが遅れていれば、ジンファンデルのルーツは永久に闇に消えていたかもしれません。ただし、この発見の翌年になって、海岸沿いのエリアではなく内陸部のブドウ畑で、同じ品種が数本見つかっています。そこでは、『プリビドラグ』という別の名前が、ジンファンデルと同一のブドウに付けられていました。
●なぜツールィェナックは滅んだのか?
クロアチアでは何故、ジンファンデル=ツールイェナック=プリビドラグは、廃れていったのでしょうか。確たる証拠はないのですが、メレディス博士はカビ害に弱いこの品種の性質が、災いしたのだろうと見ています。乾燥した気候のカリフォルニアの地にあってすら、この品種はカビの被害がしばしば出るのです。
「その昔、まだツールイェナックが沢山栽培されていたころ、ひとつの畑にこの品種とドブゥリチェッチの両方が植わっていて、自然交配が起こってプラヴァッツ・マリが生まれたのでしょう。そしてこのプラヴァッツ・マリは、ツールイェナックよりも、雨が多少降るクロアチアの夏には向いていたのです。ツールイェナックは果粒同士が密着していて、カビにやられやすいですから。葉もベト病にかかりやすいですし、夏に雨が多い地域ではベト病はとても深刻なのです。
クロアチアのブドウ栽培家が、畑から穂木をとって、新しく植え付けを行おうとするときには、より健康なプラヴァッツ・マリが選ばれることがおそらく多かったのでしょう。そうしてどんどんとツールイェナックは減少していき、ほとんど絶滅に近いところまで減ってしまったのだと思われます」
このツールイェナック=プリビドラグが、いつどのようにイタリア南部とアメリカに渡ったのかについては、未だにはっきりとはわかっていません。とはいえ、イタリア南部へはおそらく海を超えて渡ったのでしょうし(文献上の最古の言及は1799年)、アメリカには前編で述べた、1820年代にウィーン経由でやってきたというルートが確からしいように思われます。19世紀のはじめ、クロアチアはオーストリア・ハンガリー帝国の一部で、そのブドウが首都ウィーンに存在したのは不思議ではないのです。
原産地で淘汰されてしまったブドウが、新天地で花開くのは、チリのカルメネール、アルゼンチンのマルベック(ともにフランス南西部原産)の例からもわかるとおり、珍しいことでありません。カリフォルニアとプーリアの地で栄えたジンファンデル=プリミティーヴォ=ツールイェナック=プリビドラグも、類似の事例のひとつに数えられるでしょう。
●トリビドラグ
さて、ジンファンデル=プリミティーヴォ=ツールイェナック=プリビドラグと、さまざまな名前で呼ばれるこのブドウは、その後の古いブドウ標本のDNA鑑定を通じて、15世紀からクロアチアで「トリビドラグ」の名で栽培されていた品種と、同一であることが確認されました。ブドウ分類学の世界では、そのブドウが呼ばれていた最も古い名前を正式なものと考えることになっているので、現在ジンファンデルのオリジナルの名称は、トリビドラグということになっています(ジャンシス・ロビンソンMWほかによる大著『ワイン用葡萄品種大事典』においても、ジンファンデルの情報は「トリビドラグ TRIBIDRAG」の見出しのところに掲載されています)。
こうして一応の決着を見た世紀のジン・クエストですが、いまも「異説」は残っており、イタリアのプリミティーヴォのほうが、クロアチアより早くから栽培されていたと唱える研究者もいますし、モンテネグロで栽培されてきた「クラトシヤ KRATOSIJA」(遺伝的にジンファンデルと同一)という品種こそが、最も昔から栽培されてきたのだと主張する、モンテネグロの研究者もいます。まあしかし、もろもろの状況証拠を考え合わせると、クロアチアのトリビドラグこそが、ジンファンデルのルーツだと考えて間違いないでしょう。なお、2001年末の「発見」当時、クロアチアで絶滅寸前だったこの品種は、今では同国で150ヘクタールを超す栽培面積にまで増えています。
●おわりに
大発見の翌年にあたる2002年、キャロル・メレディス博士はUCデイヴィスを辞し、ロバート・モンダヴィで醸造家として働いてきた夫のスティーヴ・ラジエとともに、栽培醸造家として第2のキャリアをスタートさせました。お互いの名字をとってラジエ・メレディス・ヴィンヤードと名付けられたこのワイナリーでは、シラー、モンドゥーズ、そしてジンファンデルのワインを生産しているのですが、「年寄りの引退後の道楽」とはとても言えない驚きの高品質です。なお、ジンファンデルのワインについては、博士の大発見を自ら讃える意味なのでしょう、あえて「トリビドラグ」の名がラベルには書かれています。ジンファンデルというと、果実味たっぷりのぼよんぼよんした味わいをつい想像しがちですが、博士の「トリビドラグ」は、ヨーロッパ産のワインを思わせる、引き締まったセイヴァリーな味わいです。ぜひ一度、ジンファンデルのルーツに思いを馳せながら、お試しいただければ幸いです。
<ラジエ・メレディス ワイナリー紹介ページ>
http://www.hoteiwines.com/winery/winery_detail.cfm?dmnID=636
<布袋ワインズ取扱 ジンファンデル一覧ページ>
http://www.hoteiwines.com/wines/product_list.cfm…
おしまい!
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立花峰夫:
ワイン専門翻訳サービス タチバナ・ペール・エ・フィス代表。
ワインライターとして専門誌に寄稿も行う。訳書・監修書多数。
(タチバナ・ペール・エ・フィス: http://www.tpf.kyoto.jp)
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