しつこく続く有機栽培ネタ第3弾ですが、今回で一応シリーズ完結、次回からは別の話題になります。
いわゆる「自然派」と呼ばれるワインが好きかどうかはさておき、昨今見られる「自然派翼賛体制」はかなり気持ち悪いと個人的には感じています。どんなことでも反対意見というのはあってしかるべきなのですが、こと自然派の議論については「自然を愛する心の綺麗な人」対「悪しき現代科学に頼るダメな人」という、勧善懲悪の論調ばかりが目立ちます。それでもまだ、出来上がったワインの品質については、「あからさまな醸造学的欠陥があるのは、消費財の品質管理上いかがなものか」という意見を聞くことがありますが、ことブドウ栽培に関する限り、有機栽培の良くないところを論じた文章をほとんど目にしません。
そんな中で先日、The World of Fine Wineという雑誌のウェブ版に、「有機栽培ブドウの大いなるインチキ The Great Organic Grape Scam」という題の記事が掲載されました(初出は約2年前で、同じ雑誌の紙版)。筆者は、Miles Edlmannというポルトガルのブドウ栽培家。いろいろ考えさせられるところの多い記事でした。これを読ませたら、有機栽培の実践者は皆黙って下を向く・・・・・・ということは勿論なくて、反対意見百出の騒ぎになるのでしょう。農業の現場では、そういう議論が昔から激しく交わされているはずで、私たちワイン業界人は、もっとリアルを知る努力をしないといけないなあと。
http://www.worldoffinewine.com/…/the-great-organic-grape-s…/
記事の冒頭で述べられているのは、有機栽培やビオディナミでも認可されている伝統的防カビ剤、ボルドー液(硫酸銅+消石灰の混合溶液)の毒性についてです。ボルドー液に含まれる硫酸銅が劇物であることは、ブドウ栽培をやっている人なら誰でも知っていることでしょう。もちろん、どんな薬でもどれだけの量撒くかによってその影響は変わりますし、薬剤抵抗性(同じ農薬を使い続けたときに、対象の病気や虫への効きが悪くなる現象)が生じるかなど、他にも重要なファクターがいろいろあるので、劇物を含むからダメとは一概に言えません(ボルドー液は、薬剤抵抗性が生じないところが優秀な薬です)。が、「ボルドー液は天然物由来だけれど、別にバッチリ安全なわけではない」という事実は、もっと世間に知られてもいいのではないでしょうか。
ボルドー液がワインに残留して、人の健康を損ねる心配はまずないものの、土壌への影響は見過ごせません。硫酸銅は分解されにくい物質であるため、土壌中にどんどん溜まっていき、土壌微生物やブドウ樹の健康に悪影響を及ぼします。記事によれば、ボルドー液を長年使い続けているフランスでは、農業用土壌に含有される銅が1,000ppm以上(土壌中の0.1%)に達していて、これはアメリカで許可される最大水準の10倍以上だそうです。ただ、誤解してはならないのは、ボルドー液は別に有機栽培の実践者だけが使っているものではなく、そうでない栽培家も普通に使う薬だということ(安くてよく効くから)。なので、「有機栽培のせいで、土壌が銅で汚染された」という単純な話ではありません。
さて、このボルドー液ですが、有機栽培やビオディナミで認可されているのは、「天然物質として、昔からある硫酸銅」だからです。ということは、基本的な部分は年月を経ても進歩しません。中身が変ると逆にマズイわけです。しかし、化学合成系農薬のほうは、日進月歩で新しいものに変っていっています。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』以来、農薬メーカーは世間から叩かれ続けてきているので、叱られないように企業努力はしているのですね。『農薬のきほん』(寺岡徹監修、誠文堂新光社)という本によると、現代の農薬は、以下の条件にかなったものが主流になりつつあるそうです。上述の記事の中にも、化学合成系農薬の洗練度合いを、あれこれ説明する件がありました。
●標的の病害虫や雑草にだけ高い効果があり、ヒトや哺乳動物、鳥類などの高等動物への毒性が弱いこと
●標的の生物には効果を発揮する反面、標的以外の環境中の生物にはまったく、あるいはほとんど影響がないこと
●効果が適当な期間持続し、そのあとは速やかに分解されて残留が少ないこと
●薬剤抵抗性がつきにくいこと
●微量で効果があり、経済的(低価格)であること
●飛散や流失が少なく、施用しやすい製剤とすること
ほんとうにこの通りなのか、上の条件以外に争点となるポイントがないのかについては、またいろいろ議論があるのでしょう。が、少なくとも「新しい農薬だからダメ」だとは、一概に言えないことが分かります。
ところで、上述の記事内では、有機栽培認証のいい加減さについてもあれこれ触れられています。「厳密にやってますヨ」、というのはあくまで建前で、認証団体と認証を受ける生産者は「なあなあ」の関係。暗黙の了解のもと、ちょっとした「不正」には目をつぶり、よろしくやっているのだ、というオトナな話です。生真面目にやっている団体、生産者がほとんどではあるのでしょうが、全員が全員そういう人たちでは当然ないのだと。
それでも、この記事の筆者が断罪する相手は、有機栽培の栽培家でもなければ、認証団体でもありません。少し翻訳引用しますが、
「宣伝目的で作られた薄っぺらい話を、さしたる意識もなく信じ込んでいる無知な消費者が、問題を引き起こしている・・・(中略)・・・生産者も、認証団体も、お金のために有機栽培をやっているわけではない。よくあるボッタクリとは違う。消費者の要求に応えているだけなのである。無知な消費者、知的に怠惰な消費者、素敵なものを飲んでいるという気分が欲しくて、お手軽な解決策を求めているだけの消費者の要求に。消費社会にあって、人は求めているモノしか手にできないのだ」
とまあ、大変に厳しいお言葉ではあります。個人的には、悪いのは消費者よりもメディアだと思うのですが、いずれにせよニワトリ卵の話になってしまうので、それはさておきましょう。
記事の筆者も言っていることですが、複雑な物事を有機か否か、白か黒かだけで分類しようというのが、一番の間違いなのでしょうね。関取の塩のように農薬を撒きまくるタイプの慣行農法がよろしくないのは自明ですが、有機栽培だからといって、何もかもサイコーではないはずです。雨が少なくカビの脅威がほとんどない産地で、チョビっとだけ化学合成系防カビ剤を散布する栽培家と、雨の多い土地で、ボルドー液をばんばん使う有機農法の栽培家がいたときに、果たしてどっちが環境に優しいのでしょうか。農薬の使用を減らそうとするスタンスこそが評価されるべきで、有機かどうかというのは実のところ大した問題ではない気がします。
もちろん、有機栽培は、農薬を減らしたい、環境に優しくありたいという意志の後からついてくるはずの「形」なので、「有機=環境に優しい」という仮定はおおまかには正しいでしょう。ボルドー液を使うにしても、ほとんどの人はその量をいかに抑えるかに腐心しているでしょうし(散布上限のガイドラインも、有機栽培では設定されています)。ただ、有機栽培にもいろんな問題があるということが、有機栽培でなくても環境に気を配る栽培家がいるということが、もう少し報道されるようになったら良いなと思います。何事によらず100%正しい、100%間違いなんてことは大抵フィクションなので。有機栽培だって、100%エコでなくてもいいんです。無謬性をムリに主張すると、なんだか胡散臭くなっていけません。
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立花峰夫:
ワイン専門翻訳サービス タチバナ・ペール・エ・フィス代表。ワインライターとして専門誌に寄稿も行う。訳書・監修書多数。
(タチバナ・ペール・エ・フィス: http://www.tpf.kyoto.jp)
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