小学生の頃、住んでいたあたりで赤痢の流行がありました。級友がひとり欠け、ふたり欠けと入院していくたびに、激しく戦慄していたのを今も生々しく思い出します。いやあ伝染病ってマジ怖いです。きょうび、赤痢で死ぬひとはほとんどいませんが、これが死に至る病ならどんなに恐ろしいことでしょう。
ブドウの病気も同じです。おなじみカビ病の類いも「増えて」いくものなので、広い意味では伝染病にあたると思うのですが、ベトや灰色カビでブドウが枯れることは今日まずありません。ウィルス病もそう。しかし、ブドウの伝染病の中には、高い確率で木を枯らせてしまうものがいくつかあります。昨今、カリフォルニアで猛威をふるっているのがそうした病のひとつ、ピアス病です。
ピアス病は、Xylella fastidiosaという細菌が引き起こすもので、19世紀末のカリフォルニアではじめて発見されたアメリカの風土病です。樹から樹へ、どうやって広がっていくかというと、シャープシューターという羽のある小さな虫が、媒介生物として菌を運ぶことによります。ピアス病は、ノースカロライナ州からテキサス州にかけての米国南東部で広く見られ、カリフォルニア州ではこれまで南部で大きな被害が出ていました。要するに、暖かいところの病気なんですね。寒いところでピアス病が広がらない原因は、まだよくわかっていないのですが、冬の寒さがキーポイントになります。一度ブドウがピアス病にかかっても、しばれる冬をまたぐとなぜだか樹が病から回復するのです。
そんなわけで、ピアス病は怖い怖いと言いつつも、カリフォルニア州の北部、ナパやソノマの人は比較的ノホホンとしていられました。ところが、数年前からナパやソノマでも、被害がどんどん出るようになってきたのです。UCデイヴィスのブドウ遺伝学者アンディ・ウォーカー教授によれば、「北カリフォルニアのあらゆる場所で、毎年4%のブドウ樹がピアス病で失われている。被害が深刻な年にはその比率は10%近くになる」とのことで、ホントかよと思いますが、この状態が続けばブドウ栽培家はもう大変。毎年1割も枯れるとなると、樹齢がぜんぜん上がらなくなるわけでして、カリフォルニアには若木のブドウしかなくなってしまいます。植え替えのコストもシャレになりません。農務省が、ピアス病が原因の植え替えには目下補助金を出しているようですが、全額カバーしてくれるわけでは当然ないわけです。
ピアス病には、いまのところ「特効薬」がありません。殺虫剤を撒いて、媒介生物であるシャープシューターの繁殖を抑えるしか手がないのですが、カリフォルニアはどこも住民や環境団体が大変うるさいので、ブンブンと盛大に薬をまき散らすわけにはいかないのです。決定的大ピーンチ。日本にいると、「ピアス病? なんか昔そんなのあったよねー」みたいな感じなのであまりピンときませんが、けっこう事態は深刻です。
しかしながら、過去15年ほど、さまざまな研究機関が全力をあげて対策を研究してきた成果が、そろそろ形になりつつあります。ひとつは、ピアス病への耐性をもつ、交配品種を新たに作り出すというもので、先に名前の出たアンディ・ウォーカー教授が頑張っています。方法は、昔ながらの掛け合わせでして、遺伝子組み換えではありません。ブドウ/ワインの分野では、今も遺伝子組み換え技術に対する世間&業界の拒否反応が激しいため、商業化を考えた場合は昔ながらの品種交配に頼らざるを得ないようです。
ウォーカー教授は、メキシコ原産のブドウ品種Vitis arizonicaが、ピアス病への耐性をもっていることを突き止めました。しかしながら、この品種から造ったワインは、北米東海岸原産の品種と同じくフォクシーな風味をもち、ワインにしたとき味の評判がよろしくありません。そこで教授は、Vitis arizonicaとヴィニフェラとの交配を繰り返すことで、ヴィニフェラの遺伝子比率を高めていきました。今では、ヴィニフェラの遺伝子が97%を占め、それでもピアス病に耐性を有している品種が出来ているそうです。ワインにしたときのお味もナカナカのものだそうでして、いよいよとなったらそのブドウでワインを造ればいいですよね。でも、それがカベルネやシャルドネぐらい素敵な味になるかといったら、けっこうこれはハードルが高いわけで、残念ながら期待薄です。だって、人類がこれまで生み出してきた交配品種の中で、古典品種と並ぶ評価のものって、いまだになにひとつないのですから。
対策のもうひとつの方向性は、ブドウをどうにかするのではなく、ブドウに働きかける農薬的なものの開発でピアス病をやっつけようというものです。こっち方面では、テキサスA&M大学で植物病理及び細菌学を研究している、カルロス・ゴンザレス教授が有望な成果を上げていまして、去年の夏にちょっとしたニュースになりました。ゴンザレス教授が研究しているのは、ウィルスの一種であるファージを使用した生物的な対策です。このファージという微生物っぽいやつにブドウを感染させると、ピアス病への予防になり、病状の進行を止めることもできるらしいのです。いまのところ、まだ温室内での実験段階ですが、順調に進めば数年内に実用化が可能だそうでして、大きな期待が集まっています。
ファージで病気が抑えられるなら、殺虫剤を撒かなくてもすむからエコですね。BT剤(※)と同じような微生物農薬ですから、おそらく有機栽培やビオディナミでも使ってイイよ、ということになるでしょうし。がんばれ、いけいけゴンザレス。カリフォルニアのワイン産業を救え。みなさんも心の中で応援してくださいネ。
※BT剤
バチルス・チューリンゲンシスという細菌を使った天然の微生物農薬。蝶やハエの幼虫を駆除するもので、有機栽培やビオディナミでも使用が認められている。
<参考サイト>
http://www.winesandvines.com/template.cfm…
http://www.sfchronicle.com/…/Can-Frankengrapes-save-Califor…
http://www.winesandvines.com/template.cfm…
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立花峰夫:
ワイン専門翻訳サービス タチバナ・ペール・エ・フィス代表。ワインライターとして専門誌に寄稿も行う。訳書・監修書多数。
(タチバナ・ペール・エ・フィス: http://www.tpf.kyoto.jp)
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