1865年、幕末の薩摩藩から密かに19名の若き留学生一行が志を胸にイギリスへと旅立ちました。最年少13歳でこれに加わった長沢鼎はスコットランドにある英国商人、トーマス・グラバーの実家に住み込み勉学に勤しみました。
その後アメリカに渡った長澤はカリフォルニア州ソノマにワイナリーを設立、病害虫や禁酒法などによる経営難にその大和魂で立ち向かいたゆまぬ努力を重ね、ついには州内で十指に入る大ワイナリーに名を連ねるに至りました。 “グレープ・キング”(ブドウ王)と賞賛され、最も成功した日本人として大きな名声と富を築いた長澤でしたが、当時米国内で高まっていた排日運動の中、彼の死後親族はそれを正当に相続することを許されず、この偉大なサムライ・ストーリーは次第に忘れ去られてゆきました。
しかし1983年レーガン大統領来日の際、国会での公式スピーチにおいて彼のカリフォルニアワイン産業における多大なる功績を取り上げた事をきっかけに、長い時を経て多くの日本人の知るところとなりました。 かつて彼が所有した土地は “Nagasawa Community Park”として今も地元の人々に愛され、またその一部は現在パラダイス・リッジ・ワイナリーが所有し、その偉業に敬意を表し彼の名を冠したワインを毎年少量生産しています。
現在世界中で活躍する日本人醸造家の始祖ともいえる長沢鼎の面影を今に残すこの素晴らしいワインを傾けながら、150年前の日本の夜明けに思いを馳せてみましょう。